■南国&PAPUWA雑感です。独断と偏見です。
・キャラ達はガワがムキムキで、中が女性と言われるがその通りだと思う。アラシヤマや心戦組くらい個性で駆け抜けてくれるか、ミツヤさん・ルーザー様の様に行動のベクトルが激しい場合、またはコージみたいにあっけらかんなタイプの場合でないと、女性的な面が目立つ気がする。(キンちゃんは女性的と言うより、子供っぽさの方が強い様に思う。)
・悪い事ではないと思う。別の女性キャラが多い作品でも、なんか違うなと思った時、制作者がほぼ男性だった事がよくある。作品が面白ければいいと思う。
・南国&PAPUWAの場合、基本的に人間関係が逆ハーレムである。女性の様な性格のムキムキに、四方八方から愛される、姫的な男性キャラが常に一人だけいる構造。皆思考回路が女性的なので、とても平和である。だが、姫的なキャラが劇中で二転三転するため、少し読みにくくなっている。
(南国前中盤) ・マジック以下ムキムキ達に溺愛されるシンタロー (南国終盤、及びチャン5) ・ジャンや兄達、甥に溺愛されるサビ (南国ラスト〜PAPUWA) ・動物や敵陣営、元上司達から愛を捧げられるリキッド
逆ハーレムの中心にいるキャラが変わるたびに、劇中全ての人間関係まで二転三転するので、少し読みにくくなっている。コタローは自称美少女な姫だと思うが、年齢的に、成人男性間の逆ハーレムの嵐の影響を左程受けなかったのでは。
■原稿のネームを見つめながら。だまされたいなと思いました。漫画やアニメは虚構の世界です。目から殺人光線が出る英国人一族は現実にはいませんし、そんな英国人に羨望の目を向ける、香川県出身の男性医師も実在しないのです。
しかし歴然と、彼等はここにいると思う瞬間があります。アニメや漫画を愛する人がよく言われるフレーズ、「そんなのつくりものでしょ」というのは嘘ではないのです。しかし清らかなる少女や、たくましくて優しい男性とか、世の中に存在しないものさえ信仰されるのだから。自分の理想を詰め込んだ二次元に癒しを求めるくらい、誰かに許してほしいとは思わなくても、多分やめないと思います。
■安吾の文章だったと思うのですが。人はだまして欲しいと願う事があるそうです。日本は単一民族であるとか、日本とはみたいなファンタジーを堂々と述べる人を想像すると、「そういう風に思っていたいんだな」と思い、多分安吾が言った事が妥当であったのを知ります。
だから、人と人は分かり合えないんだなと思いました。「貴方は私が好き」と思いたい場合、「貴方は私が好きではないかもしれない」という面は想像も出来ないでしょう。人の気持ちは常にグレイで、相手を好きかどうかなんて曖昧なものでしょうから、誰かが白と言えば白、黒と言えば黒なんだろうなと思います。
悪しき制度、家父長制も、別に妻子が家長を愛している必要はないのだなと思いました。妻子と犬猫が家長を愛していてもいなくても、家長が「自分は家族に慕われている」と思えれば事足ります。家長の妄想に、否を突きつけた家庭構成員がいれば、家長はイエスと言うまで構成員に制裁を加えるか、寒空に排除する事が出来ます。 |
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