■安吾をまだ読んでいます。同じ頃の時代の作品と同じように、安吾の作品の巻末にも、現代では不適当と思われる語句、表現等があるけれども、時代的背景と、筆者が故人であるためにそのまま掲載したという断りがあります。
同時代の人が安吾をどう読んだかは、解説等で色々に書かれています。励まされたとか、いい印象の言葉が多いです。思えば荷風も谷崎も、同じ昭和の時代を生きていたはずです。同じ日本にいたとは思い難い程、各人の作品は異なります。
誰の述懐が正しいとかはないんだろうなと思います。自分の思いと似たもの、感情をより的確に代弁してくれる、擁護さえしてくれそうなものへ、人は近寄りたくなるのだろうと思います。同人、二次創作も然りかもしれません。
■好きな事をしよう、楽になれる事をしよう、お金も時間も使おうと上諏訪の旅館で考えていたら。「家に帰って本を書こう」という選択肢が浮かんできたのに、自分で驚きました。
若い頃に一回でも、プロの作家になりたいと夢見た業でしょうか。同人誌即売会に出て、アマチュアですが作家気分を味わって。でも自分の底と言うか、ありのままの姿を見て。こみ上げる変な笑いを我慢して温泉旅館についたら、頭に浮かんだのが次の原稿の事だとは。
惰性で原稿作成およびイベント参加をしているのかもしれないという、セルフ指摘もありますが。自分の中で、自分の二次創作の世界を、あたかも本当の自分の世界の様に認知しているからだろうと思います。
私は医者である 私は天才と呼ばれてもいい科学者である 私には愛している人がいる 私にはお世話をせねばらならない、私を必要としている可愛らしい人がいる
だから私は、少々の事や、一身上の事なら我慢できる
私=高松という妄想は、最後の部分だけ正しいと思います。なんとか日常と言う戦場で踏ん張っているのなら、私と高松にも共通項があります。ただし余りにカラーが違うのと、私は天才でも医師でも科学者でもないし、頼ってくれる可愛い子達もいません。
妄想を止めると恐らく、竹淵の中の「だから我慢できる」の部分まで砂上の城の様に粉々になるんだろうなと思います。故に上諏訪にいても、考える事が同じなのでしょう。
■上諏訪に一泊しました。上諏訪に親類がいる訳ではなく、縁故も特にありません。群馬の隣県である長野には、美しい湖があると小さい頃から聞いていたと言うだけです。
群馬にも湖や沼がいくつかあります。有名なのは赤城山の大沼、小沼でしょうか。スケートや神社のある、榛名湖もあります。四万、赤谷にも綺麗な湖があります。いずれも山奥です。マイカーでの移動が前提にあります。バス等がある場合もありますが、鉄路からかなりあります。
上諏訪は温泉と湖と鉄道駅が徒歩圏にあるという、稀有さで記憶に残っていました。地図や観光案内を見て、「行ける」と思いつつ年月ばかり経って、やっと行けた感動は深いです。 |
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