■よせばいいのに、本当は怖い漢字のなりたちという本を図書館で読みました。雑学としては面白いのですが、ホラーテイストのイラスト付きにする必要があったのかと思いました。漢字の始まりは甲骨文字です。殷周の時代、始皇帝の頃、劉邦の頃でしょうか。
当時の暮らしぶりとしては、普通であった事を、現在の我々がホラーテイストで漫画的に味わっているのだなと思いました。様々な「怖い事」が当時の人達の普通であったから、日常的に使う漢字として残され、今に至るのだろうと思います。怖いのは漢字ではなくて、中国史そのものです。
■宇多田ヒカルさんの歌を聞いていました。以下、妄想と雑感です。的外れな事を書くかもしれませんが、宇多田ヒカルさんの歌が好きです。
・デビュー時からして、大人っぽい曲だった。煙草の香りとか歌詞にヒョイと出て来て、とても中高生向きのポップスと思えなかった。大人の男性と恋をする、少女に近い、センチメンタルな若い女性の歌かなと思うと、異世界の様な夢見がちな空間を想像してしまい、楽しかった。
しかし大人向け過ぎると思う。ポップスと言えば恋に勉強に部活に忙しいお年頃であり、本気で深夜に煙草を吸う層の人間が、青年淑女の歌には出て来ない。出て来ても、多分カットされる。少女が大人の恋に憧れる歌にしては、どっしりした貫録がある、不思議だ。
人間、恋愛も大事だけど、恋愛以前に最初に触れ合う大人は親である、母かもしれないし、父かもしれない。女 の子の場合、第一に母との触れ合いで成長していくのかもしれない。もしかして宇多田ヒカルの歌に出て来る大人の人は、素敵な異性とかではなくて、母親なのではないかと思った。
そう思うと、恋にしては暗く、愛を歌うにしては悲しすぎる内容に納得出来る。恋だの彼氏だのは、代替のある関係だと思う。嫌な言葉だが、女は星の数ほどいて、男も砂粒の数ほどある。恋愛一個、恋人一人失っても、宇多田ヒカルの歌程深刻にはならないのではないかと思う。
自己犠牲や我慢を重ね、しかも相手に別れられ、体が千切れそうになるような苦しみは、異性に感じるにしては激しすぎると思う。もしかして、普通に幸せでいられなかった母親との関係を思った時、吠える様な歌になるのかもしれない。宇多田ヒカルさんだけではなく、親子関係は「次があるさ」とか思いにくい分、底知れないものがあると思う。
いい年して、親がとかお母さんがとか言うのはおかしいと言われる。竹淵も実家で気楽にしているくせに、わがままや泣き言を言うのはおかしいのだと思う。その証拠に、愚痴を聞いてくれる人がめっきり減った、今までつまらない繰り言を聞いてくれていた人に、菓子折りを持って、玄関先で土下座してもいいから、私の話を聞いてほしい。
私は、天才歌姫の歌を聞いて、自分の事の様だと感動を覚える凡愚である。凡愚に、共感と癒しと励ましを与える宇多田ヒカルさんはすごいと思う。 |
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