■先に明るい話を書こうと思いますが、特に明るい本を読んでいる訳でもありません。最近読んだのは、安吾の不連続殺人事件、西村京太郎の上越新幹線殺人事件、清張の点と線です。気になっていたけれど読んでいなかったものをピックアップしてよんだら、死亡者数の多い結果になりました。
不連続殺人事件は、安吾らしいなと思いました。安吾の書く戦中戦後の時代と、田舎の古風な感じが混じり合っていました。上越新幹線殺人事件は、何故犯人達は平凡な勤め人として幸せに生きる選択肢を選ばなかったのかと思いました。
点と線は、お時が可哀想過ぎました。最初から最後まで、お時の扱いは羽よりも軽いものでした。汚職だ社会がどうこうだより、情死情死とさも当然の様に語る語り口に最後まで慣れませんでした。結局、全ては病気だった亮子の、床上の手品みたいなものだったという点も、男尊女卑でしかない気がしました。
■年頃になると、本当の家族とは、と人は思う時が来るのかもしれません。多少なりとも家族構成員に疑問や疑惑が向くと思いますが、多分一つも晴れないと思います。そんなクエスチョンを持つ事自体、重大な家族へのタブーなのかもしれません。
疑問と疑惑と怒りと、数多いタブーに耐えられなくなると、人は自立して家を出て、一人前になって新しい基盤を作ろうとするのかもしれません。しかし恐ろしい事に、円満な家族関係がある程度垣間見える人間でないと、社会で珍重されません。
つまり、現状の家族を大事に出来ないから、自分で自分の世界を築こうと思って外に出て行っても、案外氏素性、遺伝的要素、家族状況等は生涯まとわりつくものらしいです。タフに生きるか、永遠に晴れない家族と言うタブーの多いものを一緒に直視してくれるパートナーでも持たない限り、結局、生まれ落ちた場所で愚図愚図しているしかないのかもしれません。
■定期的にミスチルが聞きたくなります。昔大学の頃、やっと始めたバイトで、ミスチルのCDを買うのが楽しみでした。即効性というより、ジワジワと温熱を感じる良さがあるなと思います。すごく疲れたり、落ち込んだりする時に、手を伸ばせばいいものと、昔から思っています。
何年も同じ様な同人活動をして、同じような事で苦しくなって、同じミスチルの同じ歌でハッとなる事があります。
今回は、フェイクが聞きたくてCDをかけました。いい曲は他にもとても多いのですが、グンマ博士の事を思うなら、フェイクが合うだろうと思ったからです。人生、全てはどのみちフェイクで、フェイク、嘘やまやかしを愛して信じていこう、という歌だったと思います。
グンマが自分の周囲の嘘、デタラメ、デマ、誤魔化しをどう思っているのか分かりません。グンマの周囲の最大の誤魔化しは、「グンマ博士はルーザー博士の息子である」という点です。
グンマは高松を憎んでいいと思います。嫌うなり、罵倒するなり、遠くに追いやるなり、仕事を総帥子息の圧力で干すなり、いるなら香川の親族を追い詰める事も可能でしょう。
ただし高松はグンマに何をされても、傷つかない様な気がします。贖罪として受け入れて、グンマの反撃云々より、キンちゃんが今元気でいるのか、どうしているのかという事の方が高松の心を占めていると思います。
グンマを、誰よりも愛する人がいない限り、グンマの問題は解決しなそうです。ミスチルの歌の様に、エゴイズムから博愛精神まで、幅広くグンマに担当しろとは申しません。 |
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