■シブに上げた小説、「グンマ様とプリンと高松」について。グンマ、プリン、高松とつなげると。高松が、泣くグンマに甘いプリンを与えて、どうにかしようと悩んでいる姿が自分は浮かびます。泣くグンマを「高松が慰める」のではなく、「高松がプリンを持ってきて慰める」事にグンマと高松の上手く行かない点を見る気がします。
高松は自分の才能や仕事や、よくて家事・料理等のスキルを、愛する人にまで安価で売りさばいて、振り返ってもらおうとするでしょうが。高松を愛する人は、高松のセールスポイントを愛したわけでなく、高松が好きなんだよと思います。
高松のスキルや経験、性格等にある意味おんぶにだっこで、登場頃からずっと育ててもらったキンちゃんは、さぞもどかしいだろうと思います。でも高松は、キンちゃんの成長に、自分が数10年ルーザー様を思ってつむいできた研究等が生かせるのなら、幸せだろうと思います。
■アニメのCCさくらを見ています。丁度、苺鈴ちゃんが香港に帰ってしまい、何だか寂しいです。劇場版二作目では大人の女性の様な顔をする彼女ですが、のびのび明るいままの苺鈴が、小狼の愛を獲得出来ていたら、とちょっと思います。
小狼の恋人はさくら、という事で文句なしですが、さくらには愛してくれる人、さくらのためなら死んでもいいという人が実に多いです。桃矢、藤隆、撫子、知世、ケルベロス、月、小狼、皆、さくらのためなら火の中水の中でしょう。
昔、CCさくらが苦手だった時があります。あまりに理想的な世界で、自分の嫌いなもの、逃げ出したいものが、さくらの周りには一つもなく、嫉妬と怒りを感じた事がありました。CCさくらに問題がある訳じゃないのに、自分がみっともなくて見るのを止めた事がありました。
今思うと、つまり、全然自分の世界じゃないものをにアニメで見て。あたかも自分が友枝町で、子供を最優先してくれる、温かくて賢い父親と暮らし、学校では素晴らしい運動神経と明るい性格で、クラスの人気を獲得し、美人でお菓子作りの上手い、自分に超絶フリークのお友達がいるんだ・・・、という、夢物語に浸って観賞するといいのかもしれません。
しかしさくらが皆から愛されるのは、可愛くて運動神経がいいからだけじゃないなと思います。いつもさくらは皆に献身的で、正直で素直で、打算がありません。あえて言うなら雪兎さんとの恋の進展くらいがさくらの野望ですが、その恋でさえピュアです。
さくらは、変な要求を周囲にする事はありません。「カードキャプターとして昼夜問わず危険な目に遭っているのだから、相応の報酬、ないし尊敬や感謝を友枝町住民は私に捧ぐべきである」、とかさくらが思い出したら、CCさくらは崩壊します。
誰かを好きになったからといって、必ず同じ好意や愛が好きになった相手から返って来るものではない、というのを繰り返しCLAMPは描いています。CCさくらでも片思いの描写に容赦ありません。好きになった相手が、同じように自分を好きになってくれればうれしいけれど、相手がもっと喜ぶ事が別にあるのなら、そちらを選んでほしい、という知世を代表とした価値観が好きです。 |
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