madeingermany

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...... 2017年12月31日 の日記 ......
■ 一年ありがとうございました   [ NO. 2017123101-1 ]

■一年間、ありがとうございました。ブログやピクシブを見て下さった方、会場でお話しできた方、本を買って下さった方、皆様のお力で同人を続けていられるのだと思います。来年もどうぞよろしくお願いします。竹淵




以下、愚痴です。

どうして父と話が合わないのだろうと思った。話しているのは日本語なのに、彼が何を言っているのか永遠に分からない。相手も私の言う事が、全く分かっていないのも分かった。

例えば。「過去、こういう苦しい目に遭った。理由の一班は父親の職業他に由来するものである」と、若かった私が父に訴えたとする。父が衛生関係の仕事についていたので、ゴミ掃除男の娘と随分いじめられた。



結構、自分では満身創痍だったと思い、父に同情と理解を求めて、訴えたのだが自分が思ったような吉牛はなかった。そりゃあそうで、私がクラスメイトの男子から、父が仕事で片づけていたゴミの様に扱われても、父は痛くもかゆくもないのである。私の苦しみは彼の苦しみではないし、彼の痛みも私の痛みにはならない。

そして私は、何だかわからない降ってわいたイジメにたいし、学歴と高収入という武器で対抗する事にし、今日に至る。男子にいじめられても、自分の損になる様な生き方はしないでおこうと思った。




今にして思うと、私がいじめられてぐれれば私の不利益になり、私が手間いらずで成人すれば、余計な金がかからないという点で、父の利益だったのだと思う。引きこもりの若者は、親に対する復讐だと言われるそうだが、我が家では成立しない。我が家にはそんな父子間のシンパシーはない。いじめられたのは貴様自身のせい、と私が何歳であろうとも言い切る男だった。

愛の反対は無関心とは、よく言ったものだと思う。私は父に愛してほしかったが、父の関心は、漱石の両親、義両親の様に、いくら私に金がかかるのか、どれほどキャッシュバックがあるのかしかなかった。漱石の小説では、恋人同士での金銭関係がキビシイが、よく分かる。カネの切れ目が縁の切れ目だから、愛も恋も親子関係もカネ次第である。

私は、クラスメイトの男子よりも金持ちになろうと思ったが、同時に、同じ「男」である父とも縁を切るために、就活し、本年も金を稼いでいたのだと思う。お金大好き。

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