■初夢を見る、キンちゃんと高松のネームを描いていました。高松はいつもどおり鼻血を出します。キンちゃんは一回寝れば眠りが深そうなので、夢を見なそうです。
キンちゃんのベッドについて。病院のベッドの様な本当の細いシングルベッドではなく、普通に大きそうです。高松の私室は和風と言うか、一人分なら一人分の寝るスペースしかなさそうです。急患、夜勤や手術のために仮眠のみの日も多そうです。
高松の場合日本家屋の如く、一人で寝るか二人で寝るか、スペース的にも気持ちの上でも大問題になり得ますが、キンちゃんの、当然のように広いベッドの場合、問題にならないなと思いました。一時洋画に凝ったかいがありました。
■図書館に大菩薩峠最終巻を返して来ました。以下、無責任な雑感です。結構投げっぱなしの小説です。
兵馬の仇討が完遂すれば、脱線も付録と思えますが、兵馬と福松の話とか、「読者の想像に任せる」タイプなのか、「書いていなかっただけ」なのか分かりません。部分的なメロドラマには油がのっているから、全体像がもう少しまとまっていれば諸手を上げて賞賛したかったです。
・最後、駒井とお松が結ばれると言うか、性的な関係になって終わる。しかし七兵衛の連れて来た、お喜代という強敵が登場している。
駒井は初登場時、愛する奥方を江戸に残して、山奥に単身赴任している身だった。体の弱い奥方とラブレターをやり取りしながら、一方でお君を迎え、一子もうけたままお君を見殺しにし、失脚。失脚の原因になったお君を恨んでいた。
駒井とお松は正式な婚姻関係ではない。南国の孤島に来て、日本から離れた場所での関係である。駒井は最後まで責任など取らない。駒井が島での人間関係がどうあるべきか説いていたが、若くてゆるそうなお喜代が、お松の座を奪う日は間近だろう。
人生の大事である結婚、出産、就職、政治的動き等を、全てムシしての、大菩薩峠である。お浜、お豊達は見る影もない。残念だがお松は駒井の慰み物になって終わりだと思う。「ちゃんとしたくない」大菩薩峠だから、お松を傷つけただの、何だのという疑義さえ劇中では浮かばないと思う。
作者は竜之助を持て余している様だが、金椎や弁信の、素直な信仰心さえ物語では挿絵程度の存在である。天晴なニヒリズムと言えば言えるが、世間一般の平凡なカタルシスに背を向けただけなので、最終回をというものが迎えられないのだと思う。
竜之助にカタルシスなどなくていいと思う。しかし大菩薩峠がここまで肥大化、長大化して、竜之助さえ物語に置いてきぼりになるのなら。多少なりとも、世間一般の常識に沿った最終幕を用意してもよかったのではないかと思う。介山の性格を思うと、谷崎の様に、文章と本人が乖離したようなのは許せなかったのかなと思う。 |
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