■介山は、自分の作品と自分のリアルの世界を、一致させたい人だったのかなと思いました。自分の価値観を形にしたのが「小説」であるなら、あり得る事ですが、漱石の猫、谷崎の書く男達など、必ずしも書いた人と同一ではない場合もあります。
自分がリアルに生きている世界と、自分の書いたものの世界が完全に一致していたら、それは日記か紀行文です。そういう文学もありますが、介山が書いたのはフィクション(大菩薩峠)でした。書き様によっては、竜之助が懺悔して更生する展開も(絶対ないけど)、話のオチと言う意味では可能だったのかなと思います。
大菩薩峠で稼いだお金は、全く違う事業につぎ込んでいたそうです。漱石みたいに子沢山だとか、谷崎の様に贅沢好きだとか、荷風みたいにひたすら貯めるとかではなく、介山はある意味涼しく、浮世離れした人だったのかもしれません。
■以下真面目に書きますが、いい加減に読んでください。世界十大小説のひとつ、英国ラブロマンス・高慢と偏見を参考にしています。一時期、ジェーン・オースティンに凝りました。恋愛ものなのですが、カネの話も盛んにされる小説でした。ビクトリア女王の少し前の時代の話です。
高松(女性)が玉の輿に乗るのはどうしたらいいか。 高松(男性)が紳士に仲間入りするにはどうしたらいいか。
高松(男性)は比較的分かりやすい。カネも地位もない英国男児は、軍人・医者・商人・牧師等になる事で、一定の地位を得ている。高慢と偏見の中でも、エリザベスの叔父さんは商人で紳士の仲間であるし、エリザベスに求婚したコリンは牧師である。他、軍人になって社会的立場を得た男児のケースがいくつかある。
高松が有色人種であり、英国人ではないという事は一旦忘れる。高松はガンマ団の軍人でお医者なので、十分紳士として扱われる資格がある。ワトソン博士くらいの地位はあってしかるべきだと思う。英国紳士である、ルーザー様やキンちゃんと、対等の付き合いをするのも夢ではない。ハーレー街で天下を取って欲しい。
高松(女性)は面倒である。高松(女性)が一定の教養を身につけて、上流・中流家庭の子供の相手をすべく、どこかの屋敷に乗り込む事は可能だと思う。屋敷でマジックの信用を得て、キン・グンという坊ちゃん達にお勉強を教え、ついでにハレかサビと結婚すれば、ガバネス高松の玉の輿は完成する。
しかしよく考えると、キンちゃんが存在する時点で、ルーザー様は既婚者である。あくまでルーザー様はガバネス高松にとって、仕えるべき主人一家の一人であって、高松がその一家の誰と結婚しようとも、ルーザー様と高松の関係は変わらない。
そもそも育てる子供がいないと、屋敷にガバネスとして来る事は出来ない。ジェインエアみたいな、嘘みたいな展開で、ガバネスが紳士と結婚する話はなくもないけど、ルーザー様の事だから、普通に上中階級の家に生まれたら、早目に結婚してしまいそうだ。どう足掻いてもルーザー様の人生に高松の出番はない。
ルーザー様と高松は、同じ階級に生まれていないのだから、舞台を英国ロマンスにしても、高松を女性にしても、あまり接点が見いだせないのかもしれない。相手がルーザー様でないのなら、玉の輿は無意味だし、高松は自分が生きるために医者か軍人の道を選ぶくらいしかないのだろうと思う。
青の一族の広い屋敷に高松が足を踏み入れても、ハレ・サビのお友達として招かれるか、使用人として天井裏か地下室で暮らすのかなと思う。そういえばシンデレラって、庶民の娘ではなく、元来お嬢様の生まれだった。 |
|