■主に花街を舞台にした、寒椿と言う小説を読んでいます。タイトルと装丁で選んだので、読まないと芸妓さんの話だと気が付きませんでした。
芸妓さんがデビューする時を、水揚げと言うそうです。結構頭を使うらしいのは「さゆり」で見ました。さゆりでヒロインの水揚げをしたのは医者でした。金があって通人で、恥ずかしくない相手として選ばれた様です。
寒椿のヒロインの水揚げも医者でした。しかしその後、医者を旦那にした芸妓さんの話を読んだことがありません。大体会社の重役か、議員等じゃなかったかなと思います。その後医者は何をしていたんだろうと思いますが、ついぞ出て来ないので分かりません。
■アドラー心理学はポジティブな心理学です。目的論で、心理的なものの原因を探すフロイトやユングとは方向性が違います。捨てきれない感情などの、原因を言ってもらえると一時的にはスッとしそうですが、「それでどうすればいいんだ」と思うかもしれません。
アドラー心理学を個人心理学と言いますが、言い当てていると思います。アドラー心理学では決して「だから女性は」「だから若者は」「だから既婚ないし独身は」とは言いません。人間は平等であると言う認識で、親と子でも対等の人格を持つとされます。
故に「嫌な事があった、でも頑張ろう」という素直な気持ちが生まれます。これが逆の立場で、どこかの父親が「バカな子供や働かない部下を、思うさまいじめてやった。これであいつらも俺のお蔭で気合を入れ直すだろう」など言い出すのは、よくあることでも間違いなのだと言えそうです。
暴力や暴言を味わった方は、アドラーを糧にどうにか越えていくかもしれなけれど、アドラーが暴力・暴言を与えた方が居直る呪文になったら嫌だなと思います。そういう男は、アドラーもフロイトもユングも関係なしに、暴力暴言を続けるんだろうなと思います。
「課題の分離」の出番でしょう。どうしてその男が働かないのか、どうしてその男がひどいマザコンなのか、どうしてその男がケチでキザで冷酷なのかというのは、考えても何もなりません。相手がそういう性向に従って生きる事と、私には何の関係もありません。
だって親子じゃない、生んでくれたんだから切っても切れないわという正論がありますが、ここでアドラーでして、人類は全て「対等」なのだそうです。親は偉い、男は偉いなどと言う観念は、群馬県内を最後にして滅びないかなと思います。 |
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