■以下、勝手な事を書きます。よくある「懐かしい日本」とか全然わかりません。グンマは今日も明日も、何十年前と変わりません。
・大河ドラマや時代劇では、人間関係等、多分相当マイルドな描写になっているのかもしれないと思う。当時あり得たか分からないけれど、マイホームパパ的な武将や、お侍を結構見た気がする。
舞台を時代物にして、高度成長期の東京郊外みたいな、あったかファミリーなお侍一家を書いて。戦や疫病等の描写をそっと入れるのがいいのかもしれない。大河と言えば、豪華絢爛な戦闘シーンだが、金が滅茶苦茶かかるらしい。それなら、お子様からお年寄りまで楽しめる、ファミリードラマに仕上げた方が何層倍いいのかもしれない。
自分が幼い頃見たのは、そんな大河だったと思う。お侍達は使命感にあふれて格好よく、奥方様はお綺麗で、子供達は聡明で健康だった。お侍達の部下は優秀にして働き者、ただし時勢のためや、大将同士の行き違い等で、主人公一家が苦しい目に遭ったりする。天災の様な戦争等を、温かい父親の指揮のもと、家族みんなで乗り越えるのがドラマの醍醐味ではないかと思う。
宮尾登美子の作品は、作者の味わった戦前戦中戦後も舞台にしているので、時代劇の様に観賞するのは、多分間違いなのだろうと思う。いわば、平安時代の貴族達の日記の様なものなのかもしれない。筆致は勇ましく雄弁でいて、知的で典雅。
信じがたいような、男達に踏みにじられる女性達の話が続く。あくまで女性達の話、男達の非人間的な部分は物語を動かすためのものだと思って見ても無理。多分、大河ドラマの様な、「安心して見られる」つくりではないのだと思う。字面で追っていても吐きそうなのに、映像なんて余計見られない。
こういうのどこかで見たと思い、漱石鴎外の頃の自然主義物だと思ってはどうかと考えた。フランスものならよく読んだし、馴染のあるジャンルである。しかし宮尾登美子の時代に、自然主義でございなんてのは、時代遅れだったと思う。
日本の自然主義はあまり咲かなかったと言うか、普段から横暴を極めている男達が自然主義とか言い出しても、日記で十分だと思う。漱石は「エゴイズムを見つめた」とか言われるけど、あくまで男性同士のお友達間のエゴであって、男女間において、特に男性から女性へのエゴは意識さえされないと思う。
宮尾登美子の作品は、自然主義より自然主義で、リアリズムよりリアリズムだと思う。漱石が確か、「同居している家族同士で、家賃や飯代を請求されるなんて世の中にはなってはダメ」とか言っていたと思うけれど、私は小学生くらいの時から、早く世話になった金高を父に弁済したかった。宮尾作品ではないが、男は女を収奪するものだと当時から思っていた。 |
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