■まだ未読の宮尾作品が机の上に積まれているので、しばらく感想等を書くと思います。以下雑感です。
・ヒロインのライバル的女性が、ヒロインの好きな男の二号さんになる。ライバル的女性は美人で要領よしで、おまけに早い時期にヒロインの好きな男と子供をもうけ、婚外子ながらも男と熱い感じになる
そもそも二号さんでよかったのかという突っ込みをしながら小説を読んでいくと。ライバル的女性と男の間に出来た幼児が、事故や病気で突然死し、男がライバル的女性を折檻して追い出す等に出て、ヒロインの返り咲きになる。
宮尾作品はこんな描写が多いのだろうか。一人の男をめぐる女性達のデッドヒート、ヒロインのライバル的女性のかりそめの勝利と退場、なのは分かるが人権も人情もなかった。一見ややこしく見える小説群だが、内容は少女漫画的な部分もある。「ヒロインが自分と男に甘い」点が。
・素晴らしい文章をコンスタントに書ける人なのに、常にカップルがダメンズ×被暴力女性なのか。男に期待するだけダメなのは分かるが、被暴力女性達も、実は一人で生きていけるんじゃないかと思う。
そう思うのは、2018年にこの作品を読んでいるからかもしれない。一昔前は「20歳前後でお見合い結婚し 、子供を三人前後生まないと人にあらず」という扱いだったのは自分も知っている。思春期に突入しても、異性に無関心の私を、祖母は死ぬほど心配していた。
いやいや、男に無関心の女も、女一人で働いて生きていけるはずじゃない、と思うのは甘いのだと思う。結婚相手というものがそもそも限られている皇族様ででもない限り、結婚・出産が人類の義務であると言うセオリーには、いつか負けると思う。
なんでそういう女性が仮にいても、表立たなかったかと言えば。多分社会的に、女性の未婚は死を意味していたからだと思う。女性が成人しても未婚だと、何かとんでもない裏があるのではないかと勘繰られただろうし、女性が就職して男並みの給料をもらうなんて、考えられない時代・世界もある。
ジェーン・オースティンではないけれど、養ってくれる男がいない女は悲惨だったと言える。エマのミス・ベイツを思い出す。故に女性は生死をかけた男選びに乗り出した。「きのね」の女主人公も、自分の周囲で最もランクの高い男である雪雄に、虎視眈々である。
今ならプロの女中さんとして、男並みに働く人生もあるだろうけれども、女であるだけで半人前である社会であるなら、無理だろう。「きのね」のヒロインは、雪雄にまつわる女達を暗に陥れたり、変に従順だったり、理解出来ないが、他に生きようがないのは分かる。
雪雄の女関係にストーカーのようになったり。新婚だった雪雄の初夜に聞き耳を立てたりと、女が女を書くとこうも露悪的なのかと思った。書く方にも、ヒロインにも大した悪意がないのが怖い。 |
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