■きのねのヒロインが、主人に暇を出される場面を読みました。ヒロインは泣く泣く出ていくも、気を取り直して主人の側に帰り、許され、何事もなかったように甲斐甲斐しく主人に尽くします。
高慢な主人と、甲斐甲斐しい使用人という事で、ルザ高に似ている部分がなくはないと思って読んでいますが、高松なら暇を出されたらそのまますね続けて、田舎町にルーザー様を迎えに来させるくらいしそうです。
主人とお近づきになっても、身二つになる事があり得ない高松の場合、最初から何事にもすねていそうです。高松は理想もプライドも高い男ですが、それだけに傷つきやすく、ルーザー様から何かのはずみで暇もらっても、「どうせそんな事だと思っていました」と諦め、田舎町の温泉にでも引っ込みそうです。
高松の不幸は身二つになれない事ではなく、どれだけ周囲から自分が愛されているのか、分かっていない事だと思います。
■宮尾登美子のきのねの上巻を読み終えました。数多の苦難を、愛する男と乗り越える女の話として書かれたと思いますが、男の方が女におんぶに抱っこ状態が続きます。
雪雄が育ちが良過ぎて、自分ではお湯も沸かせない男になったのは、明らかに彼の不幸だと思うのですがどうでしょう。若いイケメンの役者で戦前の事と言っても、ヒロインがあの手この手で、雪雄を支配下に置くための秘策だった気がしないでもありません。
私は不幸にして、「この人はアタシがいないとダメ」という程の熱い感情を持った事がありません。むしろエヴァのナオコ博士の様に、「自分の代わりなどいくらでもいる」という心情の方に共感します。家族間でも同じ事で、私が明日死んでも、弟が健在であるならわが家はつつがないと思います。
私の職場も代替がいくらでもいます。(自分の仕事に責任があるのは分かっているが、異動やらなんやらで、ある意味はかないものでもあると思う。)
きのねのヒロインが、「この人にはアタシがいないとだめ」と思うのは自由だと思います。実際、洗濯も掃除も出来ない男です。しかし本当に出来ないのではなくて、生まれが良過ぎて覚えるきっかけがなかったせいと、ヒロインに「洗面の手伝い」まで任せていた滑稽さ故だろうと思いました。
よく出来た少女漫画を読んでいる気分です。ヒロインに苦難と恋を与え、スリリングな内容です。歌舞伎役者のすごさは、田舎者の私には分からないし、私の感想は多分全部的外れだろうと思っています。 |
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