■高松が何故すねやすいかって。青の一族の男に恋をした時、高松が最初に感じたのが絶望だったからじゃないかなと思います。その上男の性格がきつくて、暴力的なまでのブラコンで、若年にして天才的科学者を好きになったとなれば、対等の身分にはなれないだろうと、頭のいい高松は悟ったと思います。
ルーザー様と会話できるようになるまでで、高松は一生分のエネルギーと幸運を使い果たした思いだったでしょう。つまり彼とカップルになるかどうか以前に、高松の中ではとんでもないストームが起きていた事になります。
恋と自己防衛本能が同時に動くわけで。「もし彼に嫌われても、死のうなんて思うな」「つまらない事で、私もハレのインコの様に殺されるのかもしれない」等という極度の緊張を経験した、高松の心身のエネルギーが回復する日は、例え彼とカップルになったとしても時間がかかりそうです。
■長谷川町子のいじわるばあさんを思い出しました。主人公のお石は、名だたる意地悪です。異性にも容赦ないですが、ある日、さる老紳士が石の意地の悪さに腹を立て、石を平手打ちします。
石は紳士に更なる意地悪をしかけると思いきや、くだんの紳士に「男性美」を感じたとかで、家でウットリしていました。
宮尾登美子曰く、「女は男に殴られたい」だそうで、まるで「女は男に痴漢されたくてたまらない」とか言う痴漢の言い訳の様だと自分は首をかしげていましたが、ある日ある時の「女の常識」だったようです。
■宮尾登美子のきのね下巻を読み終えました。朝、図書館に返して来ました。下巻は雪雄が役者として輝く時期を迎え、歌舞伎関連の描写が増えます。
錦の時もそうでしたが、多分読者への御馳走である、「男の仕事が大成する時」みたいな描写程、自分は理解が追い付きません。すごい織物が出来たとか、雪雄の芝居がすごいのだと読んでも、全く目が肥えていないので、想像が出来ません。
そこそこ博物館や美術館に通った事もあるのですが、あまり身につかなかった様です。小説の中の登場人物が、喜んでいたり、悲しんでいたりするのに自分の感情を上下させる事しか出来ません。学生の時、何で自分が日文に進まなかったのかよく分かりました。
きのねでは、ヒロインが最初から最後まで、雪雄に殴られ、蹴られ、張り倒されます。雪雄がガン末期で体調が悪い時、「殴ってくれる(元気のいい)貴方が好き」というヒロインの述懐があり、愕然としました。
ヒロインは第一子をたった一人で生みます。雪雄に迷惑がかかるとだけ案じている姿に、共感や怒りを越えて、滑稽さを覚えました。ヒロインのせいではないけれど、こうやって自分を殺し、男に従ってきた数多の女性がいたから、今も(省略)なんだなと思いました。 |
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