■PAPUWAでコタローがマジックを、父さんと呼んでいるのに燃えます。主にサービスとの修行が終わった後の事です。ある程度眼魔砲に自信がついた後は、割とマジックと話をしています。
PAPUWAでコタローとマジックが再会した時、マジックは全く笑わない上に、落下しそうになるコタローを見殺しにしかけました。コタローが「お父さんが自分を助けないかもしれない」という点に気が付いたかどうかはわかりませんが、ずっと近いものは感じていたんじゃないかなと思います。
もしマジックに「コタローが大切」という思いがあるのなら、PAPUWA冒頭で「コタローが逃げた」だの騒がないでしょう。南国での幽閉も、青の一族の悩ましい点を生まれながらにして持っているコタローを直視できないからの事であって、あくまで自分のためです。
高松ではないですが、マジックと長期間やっていくのなら、「あまり期待しない」「こちらも十分な余力を蓄えて付き合う」しかないのだろうと思います。マジックに嬰児交換と言う訳のわからない事をした高松には、「自分の方が優位」というこれまた理性的でない自負があったのだろうと思います。
シンタローも、心の中にパプワと言う友達がいなかったら、とてもマジックとぶつかり合う事は出来なかったと思います。
■先に楽しい事を書きます。やっと靴を買いました。普通のスニーカーです。可愛いストラップ付きのお靴もいいなあと思ったのですが、多分疲れて駄目だろうと思い、そちらは諦めました。先のイベント会場でも、皆可愛い靴を履いておられ、自分の負けじと思いましたが、足の自由さを優先しました。
買い物の途中で、栄養があると聞く、カツオを食べました。道中のお寿司屋さんで、カツオのたたき丼がランチにあったので食べました。肉厚で食べ応えのあるカツオでした。効能豊かと聞きますので、いい事ありそうです。頭の中でかなり高知と言うワードが旋回していたので、つい選んだのかもしれません。
■好きで読んでいる小説に対して、文句ばかりですみません。宮尾作品は、変にインテリ風、歴史絵巻風と大袈裟にしないで、しんみりと昔の高知の色町の小話がいいなと思います。
男と女の話をガッツリ書きたいのに、大々的な背景を準備するから、読んでて気が散るのだと思います。色恋の話の背景なんて、書割で十分だと思うのですがどうでしょう。余りに前段と情景描写が長く、ヒロインの色恋がどっかいってしまっています。
二回も小説が大河ドラマになっている作家に、自分はとんでもない勘違いをしている不安が沸いてなりません。ですが、小説の中のキラキラしている部分とそうでない部分の落差が余りに激しいのです。
いつも思うのですが、ヒロインのばっくれぶりにイラッとします。「きのね」では、雪雄の新妻がわざと折檻されるように、大事な事を言わなかったり。「天涯の花」では、久能の妻が神社に来た時、決して本心から「いけない」と思わなかったり。
例を挙げればきりはありません。色町のささやかな攻防戦においてなら、「ばっくれ」は戦法の一つだとしても、いいとこの女中さんだの、お嬢様だのがする事じゃないなとおもいました。 |
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