■こりずに宮尾作品を読んでいます。例にもれず、小説の冒頭はヒロインの少女時代です。可憐で清純な幼女が、この先どんなダメンズに引っかかって、ボロボロになるのかと思います。
順調な人生なんて、小説で読む分にはつまらないのかもしれませんが。いたいけな少女時代の描写が余りにキラキラしていて、今回はこの女の子が幸せになりますようにと思わないではいられません。
しかし小説の構造的に、宮尾作品の女の子はボロボロにならざるを得ません。色町が小説の舞台の場合、女子が傷つくのは分かります。しかし、宮尾作品の女子の場合、大体出て来る男達が音楽家や画家、職人、役者等、一芸のある男達です。普通に彼等の糟糠の妻になるのならまだしも、女中や女弟子として彼等の側にいるのは辛そうです。
芸術家の男の側にいて、創作を手伝って。男からビンタされたり蹴られたり、女中でしかないのに夜の相手までさせらて身ごもって、「この人を愛している」という感情で一杯になって。更に男の創作物を「私とカレの愛の結晶」と女の子達は思うので、その先が悲惨です。
音楽だろうと絵画だろうと、公共物として人目に触れて初めて公的に価値が生まれます。公共物に「愛の結晶」も何もありません。皆のものです。「一弦の琴」が地獄絵図なのは、ヒロインが楽曲を「私とカレの愛の結晶」と信じているために、琴に携わる女性達を敵視するからです。
「世界はアタシとカレのもの」という、狭い倫理観を、お琴の先生だのなんだのになった後で、いたいけな少女にぶつける「一弦の琴」のヒロインは恐ろしかったです。音楽など創作物が「アタシとカレの世界」ならそれはそれでいいから、表に出てやるなと思いました。歴史小説でも、なにかにつけ私情を前面に出す傾向なので、登場人物達が漱石の明暗の様に、私利私欲全開で、闘争に負けがちな弱い女子は落ちる所まで落ちています。
■漫画が読みたくなり、一回一気読みしたかった「そんな奴はいねえ」を読みだしました。昔学生の時以来です。今は「大人のそんな奴はいねえ」も掲載中でした。後者の方は今3巻まで出ていて、楽しみは尽きないです。
「懐かしマンガ」と思って読みだしたら、全然今でも面白いです。第一巻発売頃が作者が22歳、1995年くらいの事です。今2018年なので、50歳近い事になりますが、全く「大人〜」の方でも勢いが薄れていません。感動しました。
今5巻まで読みました。好きなキャラは佐藤です。「大人〜」の方でもキャラがぶれず、小児科医になったそうです。白衣キャラ万歳。
同時に、手元に「げんしけん」全巻があります。アフタヌーンで女神さまを追っていた時は読んでいたのですが、いつの間にか追わなくなり、今やっと読もうとしています。あと読みたい漫画は、ヤングブラックジャックです。こちらは先にアニメで楽しもうと思います。
手塚治虫以外の黒男なんてあるのかと疑念を感じていた時もありましたが、たびたび見ていたサンプルから、愛を感じたのでもう迷いはありません。高松、ルーザー様、キンちゃん、太乙(フジリュー封神、白衣ではないけれど)、上記の佐藤と、白衣キャラを称えます。
セーラームーンのせつなさんも白衣キャラでした。ちびうさと孤独なもの同士はぐくんでいた「友情」が印象的なキャラでしたが、ちびうさを通じて、その父のキングへの思いを募らせていたのが切ないです。 |
|