■下に行けば行くほど日誌が憂鬱になるので、先に楽しい事を書きます。しかし「どこどこの美味しいレストランに行った」と日誌に書いて、「一人でお寂しかったでしょう、いつか一緒に行ってくれるお友達が出来るといいですね」とコメントをもらって、辛くなった事もあります。保育園時代から言われ通しのコメントですが、耐性はありません。
週末に、横川の鉄道ぶんか村に行こうと思います。トロッコ電車に乗って、遊歩道に出て、発電所跡の方にまで歩いてくるつもりです。一人で行きますが、もし同行者がいたら、「こんな所に来てつまらない思いをさせていないだろうか」とグルグル考え通しだろうと思います。
自分は信越本線跡と心中してもいいくらい思っていますが、人様に同じことを強要する気は全くありません。
■そんな奴はいねえを読んでいます。大人のそんな奴はいねえをパソコンで読んでいたら目が痛くなったので、そのうちコミックスで読もうと思います。
そんな〜の掲載は、アフタヌーンで1994年から2009年にかけてだそうです。一年でコミックス1冊、全15巻です。女神さまが1988年から2014年掲載で、女神さまを読みながら、そんな〜を読んでいた頃がありました。
当時も余りの情報量に、目が痛くなりました。今回は気楽に読もうと決めているので、目が痛くなったら休憩しています。ただしコミックスがワイド版なので重く、少し手が疲れます。
■大河ドラマに二回もなった作家の作品に、ちゃんとした感想が持てないのかと憂鬱です。以下、宮尾作品への雑感です。「これが女の戦い」と言うのなら否定しませんが、歴史や芸術と言った、公共性のあるものと食い合わせがよくない気がしました。
・どのヒロインも幼女時代は模範的だ。何故なら自分の知力体力を、「幼年時代」なんていう自分ではどうにもできないものには使わないと言う算段があるからである。黙って大人しくしていれば、周囲の大人は「いい子」と少女を褒めてくれる。
大人になって、恋が出来るようになると、少女は大体狩人になる。電気屋でパソコンを選ぶように、異性をえり好みしているのがよく分かる。
どの男と結婚しても、女のする事は余り変わらない。パンツを洗って、飯を作り、子供を生むのは同じ。なら多少高額でも、パフォーマンスのいい男を選ぼうという姿勢がある。宮尾作品の女性達は、地味で真面目な男を選ばない。質素な生活も嫌がる。
何故なら価値観が、好きな男に添い遂げる事ではなく、デキのいい男の側にいて、自分を飾る事にあるから。「天涯の花」で真面目に求婚してくる典夫のどこがヒロインは好きになれないのかと言えば、学歴もなく、さえなくて貧乏そうだからに他ならない。
「きのね」でも、身の丈にあった男が求婚するのだがヒロインは面白くない。求婚してくれた男は劇中で戦死し、「あの男と結婚しなくてよかった」とヒロインは感じている。怖い女だと思った。
真面目な男を顧みないで、暴力男に走るのは、イケメンで有名な役者であるからとしか読めず、ダサい男のパンツなど洗いたくないが、歌舞伎役者のパンツなら毎日洗いますというヒロインの態度が、むしろ潔く・・・・見えない。 |
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