madeingermany

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...... 2018年04月09日 の日記 ......
■ フィナーレ   [ NO. 2018040901-1 ]

■文章を書く面白さってなんだろう、いい文章ってなんだろうと数日考えていました。あくまで私見です。

前者について。例えば「就業後キンタローは、高松に自分の書いた論文の添削を頼もうと、士官学校の生物室へ足を向けた」と書くと、ガンマ団で働いているキンちゃんがいて、高松と研究上のやり取りがあって、大体どの時間にどこに高松がいるのかキンちゃんは知っていて・・・と自分の思う世界が出来ます。

妄想の世界なので架空もいい所ですが、虞美人草の藤尾の如く、「自分の世界」は居心地のいいものです。第一に自分を楽しませるために、第二に自分が作ったドールハウスを誰かに見てもらいたいために、文章を書くのが好きです。頭と心の整理にもなりますし、小野さんがついて来てくれるか分かりませんが、「自分の世界」は大事です。



後者について。谷崎が文章読本を書いていますが、谷崎自身が余り遵守していない印象です。谷崎の文章のいい所は、前者とかぶりますが、たった数行で「自分の世界」に引きこんでくれるところだと思います。素直に身をゆだねられる魅力があります。

誰が書いても日本語は日本語のはずなのに、「乾いた」「潤った」「男らしい」「神経的な」等、まちまちの印象を奏でる日本語はやはり面白いです。いい文章とは、なんて私には分かりませんが、久々に谷崎、漱石、荷風、康成、志賀などが読みたくなりました。





■宮尾作品への感想のフィナーレです。多作の方ですが10〜20冊くらい読んだ感想なので、自分としては読んだ方だと思います。


・テーマは「女」だったそうだ。女と言うからには、女性である私の生きるお手本のようなものをイメージしていたのだが、誤りだった。作風は、女は男あっての女、というスタンスだった。どうりで読んでも読んでも分からない訳だ。

ヒロインは常に女であり、職業人でも、母でも、(親から見ての)子供でもない。(よき)妻でもないし、姑や孫では尚更ない。常に「性的な存在である自分」しかない。一人で「性的」でいる事は不可能なので、男が必要である。



それも完成されたミドルで、手練手管で若い「女」を喜ばせてくれそうな男が。若い男では経済力も経験もないし、若いもの同士では女の「若い肉体」が引き立たない。面倒な「結婚」と言う社会的契約もあるだろうし、ミドルと不倫した方が「女」でいられると言う考えらしい。カタギのお嬢さんがヒロインの作品でも、根っこが花柳小説なので、何度もいびつさを感じた。

宮尾作品のヒロインは、幼少期は普通の女の子なのに、成熟すると、既婚ミドルを追っかける。「強い女の生き方」みたいなのを読みたかった私には、まるで理解出来ない。私は「たまたま」女に生まれたので、さてどうしようと思うのだが、宮尾作品のヒロインは「女に生まれるのではない、女になるのだ」と言わんばかりである。

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