■ゴールデンウィーク前後に、夏のための原稿を始めようと思っています。高松周辺の、「心のやりとり」みたいなのを妄想しています。
マジックはコタとグンマを(シンタローと並ぶくらい)可愛がれるのだろうかとか。ミツヤも時と場合さえ違っていたら、別の愛情表現があったのかなとか。高松は本当にルーザー様の事しか考えていないなあとか、早く紙に描きたいです。
■10回以上読んだんじゃないかと思う、細雪を再度読んでいます。谷崎も憶測のような書き方、「・・・らしい」「・・・と思われた」等書く事がありますが、憶測の様でいて、読んでみると、かなり強い断定的な響きがあります。このグイグイ来る感じがたまりません。
谷崎は戦時中でもこの小説を書いたそうです。軍部は細雪を華美だ軟弱だと言ったかも知れなくとも、こんなにロックな小説はないと思います。したいことしかしない、書きたいものしか書かない谷崎の傲慢さが大好きです。
■年を取ったので、自分の中のお姫様願望を正視出来るようになった気がします。宮尾登美子の小説の様な「女には男の愛が必要」的な価値観が、今の世の中は若干薄らいだ気もしますし、生きやすい世の中になりつつあるのかもしれません。
関係ないですが、上村松園の作品展が結構全国で開かれます。上品な絵柄が好きで、県内なら見に行った事もあります。どうしてあそこまで、えぐく小説に出来るのか、読んでも理解出来ないままでした。多分、「序の舞」という作品と描いた人と、同じタイトルで小説を書いた人・書かれた小説は別個なのだろうと思います。
話題を戻します。昔のディズニー映画のお姫様なら、15歳くらいで全然知らない男の所に、嫁に行くのが普通でした。白馬の王子様が森に来て、求婚してくれる感じです。実際の「森」にはクマくらいしかいません。今は、エルサ姉妹の様に、独身のヒロインもいるのだと思うといい世の中になったと思います。
自分のお姫様願望は、発芽した後「お姫様にしてくれる異性を探す」事に向かず、「お姫様とは何か」と調べる方に向きました。いきついた結論は、「お姫様には莫大な財産と、支えてくれる領民が必要で、普通の女性になれるもんじゃない」というものでした。
ジェイン・オースティンの小説に出て来る「普通の女の子」達には、経済力のある父親、父親には広大な農村、大勢の年貢を納めてくれる農民がいます。お姫様とは、不労所得のある家の娘である事が多いので、日本で言えば「庄屋さんのお嬢様」的なものなのだろうと思います。
あ、無理といつだったか思いました。お姫様を養うためには、セーラ・クルーの場合でも、ダイヤモンド鉱山だの、軍人の父親だのなんだの必要です。「そうか、お姫様になるにはカネが必要なのか」、と一番色気のない選択肢にたどり着き、今の勤労者生活に落ち着きました。自分にとってのお姫様願望とは、自分でサラリーを稼ぐことで叶えられるものだった様です。 |
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