■先に楽しい事を書こうと思います。
南国後高松に「高松、すき」「やばしに行ってお菓子買ってきて、とわざわざ切って言うグンマを妄想していました。グンマ程、近年の高松の近くの側にいた子はいないので、高松をいじろうと思えば、どこまでも出来るのだろうと妄想します。
前みたいに、無邪気にグンマ様が自分に甘えてくることはないと分かっている高松は痩せる思いでしょうか。そんなフザケくらいでグンマが納得するなら、高松の心が擦り切れるまで彼にはいじる権利があるんだろうなと思います。
自業自得だけど、心が擦り切れそうな高松博士。キンちゃんが後ろから、「高松、だい」と言って、「大国町ですか、大門ですが。高松はどこへでも貴方のためにパシリしてあげますよ」、と普段の憎まれ口に近い感じで、答えてしまう高松。
高松からそんなイヤミ、皮肉を言われた事がないキンちゃん。言いたかったのは「高松大好き」なので、泣き出すキンちゃんと、猛然とキンちゃんをあやしだす高松。ちなみに細雪で幸子達が数寄屋橋で飲み食いする場面があって、とても美味しそうに書かれています。
■以下雑感です。まとまらないし、ソース等も可能な限りしか調べていません。不愉快に思われた方がいましたら、申し訳ありません。
・日本の医者には応召義務があるという。細雪の櫛田先生の様に、主な活動が自身の往診である場合だと、医者が「診ない」と言えば患者はとても大変な事になるので、当時とすると明確な義務だったと思う。
高松も医者なのだが、応召義務と言うか、やらねばならない事の多い人だと思う。あんなに口が悪く、態度もよくないのに、自分の義務に対しては情熱的なので、哀れさえ漂う。劇中で高松が自分の役目に対し、「嫌だ」と言った事はないと思う。彼の性格的な面は取り合えず置いておくとして。
高松をそんなふうにしたのは、ルーザー様だと思う。頭がいいくせに面倒くさがりで、いつも自分の実力を出し惜しみする様な高松少年に、相当喝を入れたのではないかと思う。高松はルーザー様に反抗しただろうが、「兄弟に尽くす」という、高松なら絶対にしなそうな方面に命懸けになるルーザー様に、いとおしさを感じて来たのではないかと思う。
仕事をする男はかっこいい。柴田亜美作品の男達は、モモブから主役クラスまで、大体仕事や使命をもった男達なので実にかっこいい。
ただしこのかっこよさは、柴田亜美作品の根っこではない。作者に愛されたキャラは、ほぼ確実にニートの上に、愚痴が多く、周囲を使役し、妙に若く、崇拝者が若干名劇中にいる。サビが原作者に愛されていた時は、「サビはそういうキャラ」だと思って気にしなかったが、寵愛がリキッドに移ると、読んでいて頭が混乱してくる。
南国の時のジャンもそうだったが。柴田亜美作品の主要キャラに据えられてしまうと、「死んでもしたくない事をイヤイヤやる」面がクローズアップされてしまう。
南国のシンタローさんがパプワという子供の面倒をみているが、原作者的には「したくない事をする自分(かっこいい)」という流れもあったのかもしれないと思う。二代目シンタローと言えるリキッドが、本当は家事も子供も動物も好きじゃないんだろうなと思わせるキャラだから。
「したくないことをやる」のは妥当で正当な行為で、学校で先生から褒められるような行為だが。大人の男であるなら、自分の立場や年齢、義務を理解し、相応に行動した方がかっこいいんじゃなかなと思う。もしキンちゃんが、「総帥補佐官なんて宝くじがあたったら即行やめてやる」とか思っていたら、かなりツライ。 |
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