■文章を書いていて、使いやすい言い回しがどうしてもあるなと思います。脳の動きが固定されているんだろうなと、習慣の恐ろしさを感じます。
「・・・という一件は、後になって思うと、生涯で最も忘れられない事だった」「・・・は目の前が真っ暗になった」等の言い回しが、ある作家の作品を連続して読んだら、ほぼ全作品にあり、ヒロインがクローンの集団に見えてゾッとしました。
やむを得ない事なのかもしれませんが、漱石、荷風、谷崎、康成等を読んで「また?」と思ったことは一回もありません。多分同じような言い回しがなくはなかったのでしょうが、内容の濃さが習慣的なものを打破していたのかもしれません。
■サビと高松の小説を書いています。サビの目をえぐった傷が治るあたりから書いています。高松もサビも、心身の負傷が著しかった時期ですが、「傷をなめ合う」「いたわり合う」「慰め合う」姿がまるで想像出来ない、似合わないのがサビと高松だなと思いました。
前向きとか、明るく元気とかがまるで似合わないサビと高松には、何か暗黙のものがありそうです。PAPUWAでもサビは高松が隠居先から帰って来たのを、割と早く知っていた感じがします。シンタロー世代は可愛い子達が多いですが、ミドル世代の阿吽の感じもたまりません。
■鴎外のヰタ・セクスアリスを読んでいます。雁を読もうとして、図書館で借りた本に同時収録されていました。美しいけれど難しい鴎外の作品の中で、ヰタ・セクスアリスと雁は読みやすい方だと思います。
鴎外と言うと舞姫ですが。舞姫もヰタ・セクスアリスも雁も、根っこは同じなのかもしれません。結婚していない異性との、心理的・肉体的関係がテーマです。漱石のこころではないですが、当時もし異性と「結ばれたい」と思ったら、やはり先生の様に、「お嬢さんの母親に伝える」のが最も妥当だったのではと思います。鴎外の書いた獣道が、ヰタ・セクスアリスなのでは。
鴎外の場合「ちゃんとした」妻もいれば、懇意だったドイツ人女性、「お妾さん」、その後結婚した若い妻、と異性関係が多彩です。鴎外に長い事、「お妾さん」がいたのは有名らしいですが、当時なので道徳的にどうこうではなく、「奢侈」だから攻撃されたようです。
そんな鴎外のヰタ・セクスアリス、性的生活。まだ半分くらいしか読んでいませんけれど、むしろ学生同士の友人関係の模様の方が面白いです。作品のテーマは「性」ではなくて、「性についての生活」なので、メインは「ヰタ」の方だったのかなと思います。
当時、大勢の男が学校でドイツ語やラテン語を勉強したと思いますが、学んだ事を小説という創作の場に直に使った男は鴎外くらいではないかと思います。皆、今と同じく、勉学と趣味は違う世界と言うか、勉学に向かいつつ、創作も怠けない鴎外は例外中の例外の男の様に思います。漱石は創作>勉学だった気がします。 |
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