madeingermany

[PREV] [NEXT]
...... 2018年05月11日 の日記 ......
■ 断言癖   [ NO. 2018051101-1 ]

■同人って治外法権と言うか、聖域、サンクチュアリみたいな印象が自分にはありました。そんな事はなく、守るべきものは守っての自由ですが、コミケの「自由」さは実に有難いです。実生活から逃げ込むようにして同人を楽しむ事もありますが、同人界から実生活へ取り込んで「よかった」ものもあります。



・直接面識のない方へメールを出す時、話をする時の感じ。学生の時、初めてサークルさんへメールや手紙を出したのだが、サークル様から頂くお返事、コメント等から「家族やお友達以外と対話する時のマナー」的なものを教えてもらった。

社会人になったあと、全然面識のない人とやり取りする時は、「あの時丁寧に応対してくれたサークルさんみたいに」と思って挑んだ。

・「自分の萌えは他人の萎え」という。同人以外でも、自分の考えと他の人の考えが異なる場合は大いにある訳で、相手の考えに仮に共感できなくても、「あり得る」と思えるようになった。

思えば「竹淵さん」を知っている人、家族や学校の先生の様に「竹淵さん」と応対せざるを得ない人以外の人の方が、世の中には圧倒的に多い訳で、社会に出ていくプロローグを同人から教わった様に思う。有難い。



■今となっては自分が足らなかったと思うのですが。うちの父には断言癖があって、くだらない事でも、自分が元祖みたいな言い方であれこれ断言します。10数年時間が流れても変わらないので、多分生まれてから死ぬまで、断言癖を押し通すのだろうと思います。

加齢や、仕事を退職した事等でそうなったのではなく、20代30代からの断言癖なので、いわゆる「(とても迷惑な)性格」なのでしょう。



小さかった私には、父が百科事典の様に見えました。分からない事があったら、学校で先生に聞くとか、ある程度まではアナログでも図書館等で調べる習慣が身につかない前は、大体父の言う事を信じていました。特に「世間」の事は年上の言う事の方があたっているのだろうと、父を信じる傾向でした。

いい加減自分も年を取って、いざ自分で体験したり、ちゃんと調べてみたりすると、何十年も父が断言してきた事が大体デタラメだったのが分かりました。

地方色独特のローカルルール的な感じではなくて、あたかも自分がニュースキャスターの様に、家族にあれこれ物語るのが好きな男性でした。小さかった私は大体父の言う事を信じました。そして家の外で父から教わった事を披露し、恥をかいて泣いて帰ってくることが多々ありました。私と言う視聴者の苦しみは、彼の知った事ではありません。



同時に「本が好き」だったので、自分が特に関心のあるジャンルまでは犯されないで済みましたが、何故こんな明らかな誤謬が、彼の中で生き生きと根付いているのかまでは分かりません。

曖昧で具体例とかを挙げない日誌ですみませんが、やはり知識や体験は、味わった自分だけのものなんだなと思います。父はこれからも、自分の脳の中だけの真実と親しくしていくのでしょうが、少なくとも私と言う観客は再入場いたしません。延々つまらない断言を聞かされるのは、母の重要な家事?になりました。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: