■原稿がしたいです。GW中にネームを描きました。高松が大好きな人達と、好きな事しているだけの漫画です。一族にとって異物である高松を、マジックが余り気にしていない不思議。
■今の普通の日本の生活は、いつの時代のお姫様よりも贅沢を味わっているのだと聞きます。昔のお姫様が下男下女を大勢雇わないと暮らせないのは、電気もガスもなかったからです。ローマ帝国の一見豪華な設備もろもろには、稼働するために大勢の奴隷が必要だったとか。
西行法師の様に旅に出なくても、和歌が読めなくても。中国の貴族の様に、広大な田畑と大勢の使用人を所有していなくても、書道が出来なくても。電車に乗って、温泉に一人でいつでも行ける現代を有難く思います。数千円あれば、それくらいの行脚が可能です。
■私の父はよく言えば古風、よく言わなければ、田舎の農家の末っ子長男そのものです。幼少時母親や姉達に「後継ぎ」としてチヤホヤされ、早いうちに結婚して、今度はひとかどの「父親」になったのだと誤解し。
末っ子らしい我慢できない部分と、男に生まれただけで田舎ゆえにチヤホヤされたが故の、尊大さが心身に共存した男です。だからなんだと言う事はありませんが、そんな父を懸命に尊敬しようとしていた、竹淵の何十年間かは無駄だったと思います。
無駄なら無駄で構わないのですが。自分には10歳程年の離れた弟がいまして、この子が現在家の「後継ぎ」」です。どんな馬鹿な行為をしても、偉そうな事を両親に言っても許される子です。私は父に否定され続けた覚えしかありませんが、彼は若い頃の父同様、チヤホヤの中に生きています。
私の数十年間の父への「孝行」は何だったのかなと、今のわがまま一杯の弟を見ていると思います。多分私が女である以上、どうあっても彼の望む「後継ぎ」たり得ません。弟は男に生まれたから、どんな生き方をしようとも、父の望む「後継ぎ」です。
自分が数十年追いかけていた「父」は幻どころか、ハリボテですらなかったのが、いいおばさんになってから分かりました。父に苦情めいたことをうっかり言ったら、半分勘当みたいなものになりました。いいおばさんになった今、父のカミナリだの、勘当だのは屁でもありません。
多分、経済力他が無かった少女時代に、私は自己防衛で「父」という幻を胸の中に作ったのだと思います。「父」が喜ぶように、「父」を慰める様に振る舞えば、学費や生活費を出してもらえるから、と。
今にして思えば、そんな下着か身体を売るのと同じくらい尊厳のない行為まで選ばないと、大学に行かせてもらえなかったのなら、つくづく、私の父は尊敬に値する男ではなかったのだと思います。私は「いい長女」でありたい演技をし、向こうは「いいお父さん」である芝居に勤しんでいたのだから、やっと長い幕が終わったのでしょう。よかった。 |
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