■大した事もしていないのに、疲れたのか目が赤いです。ウサギの様に愛らしいはずもなく、もう寝ます。
ルーザー様が亡くなった後〜キンちゃん登場の間の、高松の人間関係について考えていました。自分はルザ高、キン高なので、妄想するのが難しい期間です。多分どういった人間関係でも、「高松はルーザー様を慕っている」という解釈は満場一致だったろうと思います。
キンちゃんは、高松の頑固さを母胎にして復活したと言うか。キンちゃんが登場当初シンタローに襲い掛かった事等について、高松は彼をかばいます。漱石の坊ちゃんの、清が父に坊ちゃんの乱暴について、何故か泣いて謝って許してもらったくだりを思い出しました。
なんで清が父に謝るのかと言えば、清と父がそういう間柄だったからではという憶測が出て来るわけで。でも清の目には「坊ちゃん」しか映らず、保護者である「父」はそっちのけです。「マジック」の意向や庇護を無視して、「ルーザー様とキンタロー様」の事だけ押し通して生きる、何の権利もないのに図々しく生きる高松を思い出します。
■日文をやった事がないので、適当な事を書きます。以下、坊ちゃんと清の話です。
・彼岸過迄の須永を思い出した。須永は「父親と女中の間の子供」だった。坊ちゃんと違うのは、父親と正妻の間に子供が出来なかった事、須永を生んだ女中は、須永をお腹に宿したまま暇をもらって、生んで、若くして亡くなった事、須永が延々「義理の母」と暮らしている事、等である。
坊ちゃんは「次男」で、「父親と正妻」から生まれた兄がいる。父と母は兄ばかり可愛がったそうだが、確かに、女中が生んだ息子を可愛がっては正妻の顔が立たないし、坊ちゃんは自分の母親を知らないが、坊ちゃんの兄は誰が坊ちゃんを生んだか知っている。秘密と抑制の多い家である。
すさまじいのは、坊ちゃんの「母」が亡くなった後6年間、父、清、兄、坊ちゃんの4人で暮らしていた事である。父、清、坊ちゃんという偽りの関係の側で暮らしていた兄の我慢強さと言うか、多分お兄さんは時代のせいか、受け流していたのかもしれない。真面目に「女中」をしていた清に、父が亡くなった後の世話をし、破格のお金を渡したのは(義理の母みたいな清への)誠意だったと思う。
須永は父親と女中の子供だけど、事実上の長男なので、父からの財産も、母からの愛も十分にもらった設定になっている。金も愛もあるのに、「自分」についてもだえ苦しむ須永を思うと、単純で、清から真っ直ぐな愛をもらっていた坊ちゃんの方が幸せだったのかもしれない。
ウソ偽りを憎む坊ちゃんを愛したのが、「名乗れない母」だったのは皮肉だと思う。漱石が「坊ちゃんの母は清」と書いた訳ではないので何とも言えないけど、坊ちゃんは本当に清を、ただのお婆さんだと思いつつ、愛し合っていたのだからそれもいいと思う。
漱石の悪い癖と言うか。例えば門の宗助とお米の「不倫」の全てを、二郎とお直に置き換えて書こうとして失敗し、坊ちゃんで語られなかった「母と呼べない母」の関係を彼岸過迄でリベンジしようとして、変にアッサリ書き流してしまっている様な気がする。
「憎み合う夫婦」と言う漱石得意のお題も、苦沙味夫妻、こころの先生夫妻、一郎とお直、健三とお住と、繰り返し挑みつつ、最後の最後でお延の末路が書いていない。お延の「則天去私」は読んでみたかった。・・・一途に坊ちゃんを愛し、「夫」「夫の正妻」「義理の息子」の存在に屈することなく生き抜いた清は、お延の様な自我の苦しみから解放されていたように思う。 |
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