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...... 2018年05月25日 の日記 ......
■ 須永   [ NO. 2018052501-1 ]

■夫?と正妻と、腹違いの息子(坊ちゃんの兄)の側で、下女と言う立場ながらも、ずっと坊ちゃん大事で暮らしていた清はタフだと思います。年齢的に下女奉公をやめ、頼れる人と結婚する事も可能だったと思いますが、何が彼女をそうさせたのでしょう。明暗のお延には出来ない生き方です。

清こそは、無意識に則天去私をしちゃっている気がします。というか大体の女性は、私事を押し通す事も叶わず、男だとか社会だとかいう「天」に合わせて生きるしかないと思います。滝を逆流する鯉の様な生き方は、まさしく漱石やお延の様な、猛烈かつ「贅沢」な人だけでしょう。

高松も猛烈で「贅沢」な男だと思いますが。高松の場合、ルーザー様とキンちゃんと言う「天」があるので、天が崩れない限り、則天去私できると思います。


■自分に自信のない人は。周囲からの好意や愛情を信じられず、「勝手に」孤独で寂しい思いをするそうです。家族や友人、仲間等が彼彼女の不安や孤立感を聞き出し、対応しようとしても変わらないらしいです。

周囲からの「優しさ」を「同情」「哀れみ」と置き換えて受け取り、ますますスパイラルし、スパイラルから抜け出ようとして、更に一人になっていくのかもしれません。彼、彼女と友達になりたかった人は、多分最後には「貴方は人の誠意が分からない」と怒ると思います。私は何人もの方をそうやって、怒らせ、悲しませました。

相手は自分を見下してるから、かわいそうに思って「優しく」してくれるのではなくて。対等の人間としてやり取りしようとしているのだ、と何故思えないのでしょう。スパイラルの最初、「私は無価値な人間だ」から脱しない限り、また、誰かの誠意を無駄にするのだと思います。




自分一人で考えていても仕方ないので、友達として漱石の彼岸過迄の須永を思い出していました。漱石の書いた男達女達は、私にとって古い友人達です。

須永は高学歴、資産家の一人息子、可愛いフィアンセがいるという恵まれた男です。しかし卒業後何もせず、財産を食いつぶし、フィアンセからの求愛を無視し続けます。須永はだらしないのだと言えますが、彼の中に「ニセモノの母と自分」という引っかかりがある以上、千代子は結婚も出来ず、須永を愛する故に、他の男の下にも行けません。



「本当の母じゃない母」を母として暮らす鬱屈、周囲が誰も自分の本当の母について語らない悲しみ、等は分かりますが、素敵なフィアンセである千代子をないがしろにする須永は男の風上にも置けません。須永は「父が誰に自分を生ませたか」という、自分ではどうにもならない事を苦にし、いたずらに自分をいじめ、マゾヒストの喜びに進んでいます。

社会に出ない、結婚もしない、母親からも逃げていく須永は、「明るくない坊ちゃん」と言えそうです。坊ちゃんには清がいたので、坊ちゃんの内面に陰りが出て来る事は無さそうですが、須永は坊ちゃんのいない清と言えそうです。

須永の周りには、敬太郎、松本、母、千代子、親戚達と大勢の人がいるのに、須永は「居たたまれなくて」関西に行ってしまいました。私も理由はあれこれあったけれど、関西に行けば何か開けるのかもしれないと、群馬の山奥から京都へ旅立った事があります。

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