■グンマが本気を出したらどうなるのかという妄想を何回かした事があります。いつも本気なシンタロー、キンちゃんに対し、グンマの本気は未知です。若い体に両目秘石眼、科学力も搭載というと、マジックを越えてもおかしくありません。
しかもグンマは下々の者と慣れ合わずに成人した、生粋の貴族的青年です。成長すれば高松と立場が逆転し、マジックの息子としての権限も高く、グンマに許されない事は地上においてなくなります。
多分グンマは自分が力を発揮することより、シンタローやコタと仲良く暮らす事を選んでの今なのでしょうが、そういうキナ臭さに敏感な高松は、速やかに隠居していった様です。
■ある時期、漫画版のドラえもんをよく読んでいました。ふと思い出し、野比家と竹淵家は似ていると思いました。優しいおばあちゃんも、助けてくれる猫も自分にはいませんでしたが、「悪いのは貴様が愚かだからだ」と言い切る父親はいました。
玉子さんは一人息子が日常的に暴力、カツアゲ等にあってることをどう思っているのかと言うと。多分のび太がいちいちママに言わないから、玉子さんは「子供同士の他愛ない喧嘩」と思っていそうです。(それにしてはのび太の被害は甚大だと思うんだが)
ウィキによると、藤子先生も壮絶なイジメを受けていたそうです。先生の漫画力に同世代の男児達がひれ伏すまで、いじめられていたとか。
のび太がいじめられながらも、あやとりと拳銃の腕前が常人を越えているあたり、先生自身がモデルになっている部分もありそうです。先生ももしかしたら、漫画や絵なんて描けてもムダと言われた時期があったのかもしれません。
ならば残酷なのび助と玉子さんは何なのだと思います。のび助はのび太が被害を訴えても、「パパは自分で何とかした。今だって会社で立派に頑張っている」と言うでしょう。漫画だからあれですが、そのうちのび太は暴力により、脳の障害や、一生ものの怪我をすると思いますが、やっぱりその時も、のび助と玉子は見捨てそうです。
いやいや全部竹淵のひがみである、長いドラえもんにおいて、のび助や玉子がのび太を大事にする場面は沢山あるし、十分のび太は友達にも両親からも愛されている、と声を大にして言いたいのですが。
タイムテレビで見る「のび太の将来」に、老いたのび助と玉子が出て来ないのを思い出します。のび太が成人していたなら相応に彼等も年を取っていますが、のび太の見たい「幸せな未来」に、のび助も玉子もいないので す。
のび太が辛いいじめっ子生活から、一人の社会人になる過程に、父も母も介在しないのがいいと思います。ドラえもんでのび太が成長する時って、のび太自身の頑張りや誠実さ故の成長です。だからドラえもんが好きで読んでいました。・・・・私の親は、「お前の今の幸せは、父である俺のたゆまない努力によるものである」と言い続けます。 |
|