■小説を書いていて楽しいのは、自分が経験したことのない事を空想で書けることかもしれません。恋愛描写は兎も角、グンマやキンちゃんに毎回何を食べさせようか考えるのが楽しいです。高松がウキウキして材料だのの準備をしているでしょう。
昔、同級生のお母さんが作ってくれた手作りドーナツや、クレープに舌鼓を打ちました。竹淵の家のお母さんは、パートと姑舅夫と、私の弟妹の世話でいつもヘトヘトで、私は人の家で何かもらって食うのが好きでした。(書いていて最悪だと思ったが事実)
住んでいる家は大きな家だったのですが、あくまで養蚕や農業のための家屋で人が住む快適性はマイナスでした。当然台所も狭く汚く暗く、母、祖父母が熾烈にシマ争いをする修羅場で、野でつんだ花など飾ろうなら、邪魔になるから、数分後に庭のゴミ焼き用のドラム缶に捨てられました。
■街道をゆくを読んでいます。最初の方で山口を語っていたので予感はしていたのですが、日本を縦断、または歴史を追って順々に語る訳ではない様です。今読んでいる街道の舞台はモンゴルです。氏の独壇場でしょう。
有名な司馬史観について考えていました。いろんな作家さんが自分の観点から小説や概説本を出しているのに、氏の場合の取り上げられ方が半端ないのは、「売れた」からの一言かもしれません。歴史小説と言えば井上靖のものも自分は何作か読みましたが、井上史観とは余り呼ばれない気がします。
司馬遼太郎は作家であり、研究者や政治家ではありません。そう思いながら読まないと、司馬史観?に引きずられてしまいそうな程、魅力的な作品を書かれました。時折挟まれる、対象を軽んじた様な書き具合に出会うと、ちょっとムッとし我に返ります。
(ちょっとでいいからグンマの街道の話が出て来ないかなと思うけど、多分生粋の関西人の氏にはなじみのないエリアだし、褒めてもらおうとは思っていない。安中の方とか街道をとても大事にしていたんだが。)
■竹淵の家の事なのですが。色々時効だろうと思うので書きます。
竹淵母の口癖は、「竹淵はしっかりしている」です。即売会等で私と会われた方は分かるかもしれませんが、相当のドジです。可愛いドジっ子なんてものではなく、昔小学校でクラスの余計者だった過去が、クッキリ分かるレベルのものです。
空回りする姿が、一生懸命で真面目過ぎとかいう好評価につながるかもしれませんが、大体過去そんな慰めをかけてくれた人とは縁が切れています。「いい人と出会えた、縁を大事にしたい」と思うと、ガムシャラにその人にアタックして、大体数か月後に嫌われます。
自分でもドジと言うか、学校のテスト等で夜更かしして勉強しても「ケアレスミス」で始終減点されていました。英語のスペルや、ちょっとした単語などにつまづき、あんなに勉強したのに、と泣き暮らしました。運動がダメなのは言うまでもありません。
何故母は「竹淵はしっかりしている」と断言するのかと言えば。「浪人しなかった」「サラリーマンになった(女ですが)」事だけ関心がないからです。息も出来ないくらい、今の竹淵になるまで怒涛の日々があった事は、彼女には見えません。
のび太ではないですが、私もイジメにあった事、父方の祖父母がキツイ人だった事等は余り言いませんでした。彼女に私を救う力はないし、私には下に兄弟がいて、彼等の習い事や、お友達付き合い等に彼女は夢中で、私の応援はクソ程しませんでした。(私の部活動等へはパートや他の用があったとかで、一回も応援に来なかった。)
挙句成人後彼女から出てきた言葉が、「竹淵はしっかりしている」だそうです。そりゃあ貴方は、わがままな息子、奔放な次女(私は長女)、どうしようもない夫、キツイ姑舅小姑で苦労したから、なんかどうでもよく生んじゃった竹淵の苦悶は知らないでしょう。私はただの本好きの大人しい子じゃなかったんです。
なんてことを成人してすぐの頃彼女に言ったら。「そんなつもりはなかった」「竹淵はしっかりしている(から手をかけて愛してやる必要を覚えなかった」だそうです。私も彼女を今から先は愛さないし、そういう必要を覚えません。 |
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