■漱石の「坊ちゃん」で。乱暴が過ぎて勘当されかけた坊ちゃんについて、清が坊ちゃんの父親に泣いて謝って許してもらったそうです。何故奉公人の清が父親の怒りを解けたのかというと、坊ちゃんが知らないだけで、清が坊ちゃんの母だからという説があります。
他人からの純粋な愛と言う事で、坊ちゃんは清を信じているので、説の真偽がどうであれ、坊ちゃんには関係ない事なのかもしれません。あんまりキンちゃんは考えた事ないと思いますが、使用人に過ぎない高松が、自分の言動一つでマジックを納得させ、キンちゃんの身の上を確定出来たのは、同じような事情だったかもしれません。
■マーガリンの話です。今でこそスーパーで普通にバターやオリーブオイルが買えますが、昔の我が家は大体マーガリンでした。家にある乳製品と言えばマーガリン・・・(※マーガリンは植物油を基にした人造バター)
昔、アニメの世界名作シリーズが放映されていた頃。生活を豊かにすると言う発想の薄い暮らしをしていた私は、乳製品に憧れを抱いていました。家族に神戸市民の様な洋食党はおらず、比較するものがないから、美味いかどうかさえ分からないご飯を日々食べていました。(作ってくれる母の苦労が大抵でない事は理解しているつもりです)
セーラや、若草物語の姉妹の食べる欧米のメシとはどんなものだろうと日々空想し、一番近いスーパーでも歩いて一時間かかるので何もできないでいた所、冷蔵庫にマーガリンを見つけました。スプーンでごそっとすくって食べたマーガリンは(以下略)。
自分が漱石、谷崎、荷風を好んで読むのは、劇中に出て来るメシが美味そうだからなのかなと思います。荷風は贅沢な人ですが、カネ・メシ・イエの有難さを痛感しているだろう漱石、谷崎の思いが分かる気がします。暖衣飽食出来る金持ちには分からない喜びが、食事にはあるんだと思います。
■絶対に自分のことをしっかりしているなんて思えない竹淵が、今日も日誌を書きます。文章を書くという事は、なんとかというセラピー効果でもあるんじゃないかなと思います。
愚痴を言う人にはなりたくないから、数十年出来る事をしてきたつもりです。でも嫌な事があっても口に出さないでムスッとしている人より、明るく視点を変えておしゃべりのネタに出来る人の方が魅力的だと、最近は思います。
自分がしてきた事と言うと。
・金を稼げるようになった (※普通にサラリー生活しているだけです) ・他人の宿題とかやってあげてた ・絶対に他人に本音を言わない様にしてきた ・無駄だと思うものは視界から排除した ・好きな事を好きなだけやった ・誰かに尽くしたかった
今思うと、中学校の頃とか安請け合いばかりして、友人?とよくトラブルになっていました。お友達が欲しいのに、周囲にどうしていいか分からないから、宿題をやってあげたり、キーホルダーとかあげてみたり、相手の事をベタ褒めしたりしていました。
普通にしていればいいじゃない、気持ち悪い子だなと今にして思います。しかし大人になった今でも、異様に他人に自分を売り込もうとしたり、相手が欲しくないかもしれない「お土産」を突きつけたり、聞かれてもいないのに自分のプライバシーを公開したりと、気持ちが悪いと言うか、気色悪い人だと相変わらず思います。
自分に性的魅力がなくて、本当によかったと思います。多分女性として魅力があったら、男性相手に「自分を認めて欲しい」感情を爆発させていたんだろうなと思います。・・・「認めて欲しい」感情程他人にとってうっとうしいものはないらしく、過去宿題だの「やってあげた」子は同郷ですが音信不通です。
自分の数十年、アドラー的に正解じゃない、ちゃんと周囲に尽くしているじゃない、とちょっと今立腹しましたが、尽くす?相手に「竹淵を愛して」という思いをチラチラさせ、尽くしても相手が喜ばないと怒るのは、万死に値したなと思いました。 |
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