madeingermany

[PREV] [NEXT]
...... 2018年07月12日 の日記 ......
■ 絶倒   [ NO. 2018071201-1 ]

■民事不介入と言う原則があるんですが。いい面を言うなら、「お上が各家庭の内情等には口を出しません、家族同士の話し合いで決めましょう」という考えです。

昔は、「女性は結婚して子供が生まれないと、離婚を強制される」「親の仇を子供が討つ」等、家庭の諸問題に「お上」?が口を挟んだので、近代的な考え方であると言えそうです。



しかし大体の事はこじれれば、「話し合い」にならない事が多いのかなと思います。親子関係、親権が及ぶ子供同士のトラブル等、「話し合い」が成立する関係なら、そもそももめないでしょう。誰かの苦痛は、誰かの利益です。

つまり家のなかこそ、弱肉強食の、大自然の様な野放図、無法地帯なんだろうなと思います。親は子供の肉を食い、男は女の肉を食うような。私の父の口癖は、「そんなつもりはなかった」です。死ぬまで彼の口から出続けるだろうと思います。「そんなつもりはなかった」で諸問題が済むのなら、警察も学校も役所も要りません。

(ちなみに私が父の信者だった頃。知人とトラブルになった時、「そんなつもりはなかった」と禁じ手の様に言ったら、更にトラブルが悪化した。今思うと知人に本当に悪かったと思う。)



■不穏な事ばかり日誌に書いていますが、高校受験以降、つまり自分で進む学校や、学ぶ学科を選ぶようになった後は、復讐だの報復だの全く思わない様になりました。私が云々言うのは、主に中学時代以前の生に対してです。

自分で自分について責任がとれるようになってからは、平穏に暮らしています。「責任がとれる」なんて大袈裟な事は出来ないかもしれませんが、「文句言わない」程度の選択のための苦悩なら、何でもありません。



人生で最も悩んでいたのは小6の時です。今にして思うと、受験や就活より、小学校時代の方が全てに深刻でした。私は周囲と合わせられない子で、クラスを担当していた若い女性教諭が、死にそうな顔で私を説諭しました。

私は彼女にとって、担任をしていて死にたいほど面倒くさい女の子なんだと言う事が、よく分かりました。それならそうと早う言えばいいのに、「ごく自然に竹淵ちゃんがクラスの皆とお友達になれる様に」と教諭は何か月も腐心していました。私は教諭の苦悩を知らず、「私は私」と、ぐれたことを思って、一人で好きな事ばかりしていました。




人間で唯一私の話を聞いてくれそうな、クラスの教諭の事は好きだったので、「貴女なんか」という感じで責められた時、次の休み時間、学校のトイレで自分の首をしめました。しかしこのまま苦しくなって死ねたとしても。自分の遺骸が女子トイレの床に転がっているのを想像し、あの子あの人達から気持ち悪がられるだけじゃん、と手を緩めました。

兎角浮いていた少女だったので、学校の休み時間はトイレにばかり行っていました。フケツな印象を周囲にもたれ、ますます嫌われる悪循環が起きました。くだんの教諭に泣かれた後、優しくしてくれる数少ないクラスメイトの女子に「私はどうして人から嫌われるのだろう」と相談し、「まずは清潔感から」と諭され、色々改めました。

以降、人並みの女になろうとする、竹淵の苦痛の人生の幕開けになるのですが、別に何でもない事だと思っています。復讐だ報復だと叫びたくなるのは、「自分で選択できない」ものに対してだけです。父親の存在とか。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: