■シンデレラストーリーで。「王子様が見つけた、森の中の野生少女は、実はさる所の御令嬢」でした、というのがあります。最初に「ヒロインは捨て子だった」ってあったじゃないとか思いますが、当時童話を再編した人達が、身分差結婚を認めなかった事が理由だそうです。高貴な人と結婚するのは、高貴な生まれの娘というセオリーでしょう。
日本史でも大体同じです。桐壺帝は身分の無い桐壺更衣を愛しましたが、更衣より身分や権力のある女性が数多いたから問題になった訳で、更衣自身はお姫様に相違ありません。江戸将軍の場合は、「健康そうな町娘」を城にあげる事はあっても、町娘の親類縁者が政治に口を出す事はなかったと思います。
高松というシンデレラはどうするんだろうと、数年越しで考えています。多分「実利重視」で、高松は部下としてルーザー様やキンちゃんの側にいられれば、満足なのだろうと思います。
■ガラカメの春さんについて考えていました。ありきたりの、「子供の未知なる実力を認めない、頭の固いママ」として出て来ましたが、マヤの「実力」を認めた月影先生や、マヤに仕事を紹介できる真澄さんの存在がマンガ的なのであって、春さんの動揺と怒りはもっともなんだろうなと思いました。
月影先生や真澄さんは、マヤが「大成しない」「実力不足」と思われれば、彼女を捨てればいいだけです。月影先生は「女優としての〜」と言う彼女の論理がありますし、真澄さんも「紫織さんがいる」「マヤには幸せにしてくれる人がいる」、とそっぽを向く事がない訳ではありません。
マンガだから、マヤは試練を乗り越えていきますが、春さんには分からない「脚色」ですし、何より、マヤが訳の分からない勝負だの、営業だのに巻き込まれても、春さんには何も出来ません。応援したくでも、無一文で夫もいない、しかも病身になった彼女は何も出来ません。
「親がいない」月影先生、そして「親を憎む」真澄さんは、演劇の世界に関わらなくても、やっていけそうな気がします。一連が芝居の人でなくて、別のジャンルの人だったら先生はそっちのジャンルで大物になっていそうですし、真澄さんも別の事業でもやり手になったでしょう。
マヤからお芝居がなくなれば、春さんの不安通りの事態です。不器用で美人でなく、コネも学歴もないマヤに出来る事は余りなさそうです。「お芝居をしないマヤ」事態がガラカメに余り出て来ないので分かりませんが、「普通の女の子」として幸せになってほしかった春さんの思いは、叶わなそうです。
ガラカメは、演劇の世界の熾烈な物語であり、マヤのシンデレラストーリーでもあるので、マヤには恋愛面でも勝ち抜いてほしいです。
(ただし男性とは「優れた女性」を好まないものだから、お芝居で大成したマヤを、真澄が気に入るかは分からない。真澄がマヤにいまいち迫れない理由は、春さんの案じた通り、マヤが「何もない少女」であり、「演劇では無双」と言うアンバランスな存在だからだと思う。
真澄は「全く取りえのない小娘」をもらい、「演劇の女神」を同時に恋人にすると言う離れ業を強いられるわけで、実に大変だ。) |
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