madeingermany

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...... 2018年07月31日 の日記 ......
■ 源氏   [ NO. 2018073101-1 ]

■先に妄想を書きます。ヒギンズ教授はイライザのタフさに興味を覚え、彼女を自分の技術の実験台にしました。故にイライザが一人前になった後は、飽きたのか彼女を放置しています。

ルーザー様は逆で。高松を一人前にするために特訓させるわけで、「一人前にする訓練」はあくまで手段だったらいいなと思いました。高松を紳士にするまで、ルーザー様は楽しかったかもしれません。高松が紳士になった後も、喜びが続けばいいと思います。

でも高松なら生来の器用さから、自学自習で勝手に、見よう見まねの紳士になるかもしれないとも思いました。「紳士」にはなれたかもしれないけれど、何のために「紳士」になるのかと言えば、やはりルーザー様の側にいるためしょう。ルーザー様が側にいるのなら、カラスでは用が足らなくて、鵜でないと。



■源氏物語についての本を読んでいました。言い方がよくないのですが、やはり「源氏物語はおかしかった」のです。出て来る男女関係が、セクハラと強姦と不倫しかないと言っても過言ではありません。

(義父が養女を〜という例も多い。紫上、玉鬘、秋好中宮、男に頼るしかない彼女達だけど、貴方の事が好きで頼っている訳じゃないというムードが濃い。本気で源氏を愛した女性って、いたんだろうか。

六条院の女性達は全員、源氏=金づると思っていそう。だから皆源氏の愛が欲しいのだし、源氏に頼らないでどうにかなる藤壺、女三宮は、源氏を嫌って出家した。)



平安時代じゃない、一夫多妻でしょう?なんて事はありません。別途自分の読んだ本が正しかったとしたら、平安時代は多夫多妻とでもいうべき感じです。男に沢山の妻がいるのなら、女には大勢の夫がいました。

女の家を男が訪ねたら、女の家には既に別の男が来ていて、仕方なく帰った、というくらい男女同権に近かったとも聞きます。女が親から家や土地を相続出来た時代でもあり、清少納言や和泉式部のイメージは、時代のズレもありますが、もっと明るいです。



源氏も、本来ならもっと葵上に気を遣うべきでした。劇中では葵上の性格を非難するような描写が多いですが、彼女に非はありません。普通に源氏が「女君に通う」くらいならセーフと言うべきでしょうが、桐壺帝に注意されるくらい、六条御息所に無礼であったり、妻の兄の頭中将と争う様に、京都中の「美女」を犯しまくる夫に、優しくする必要はないでしょう。(夕顔)

夕顔の話はキレイにまとまっている上に有名すぎるので今更ですが、宇治十帖で、罪もない浮舟を薫と匂宮が玩具扱いして恥じない空気は、この頃から始まっていました。薫は頭中将の孫、匂宮は源氏の孫。



紫式部は、明らかに「普通じゃない」と分かっていて、源氏を書いたんだなと思いました。源氏は当時の貴族達の娯楽だったそうなので、自分達の「普通」が書かれたのではつまらないでしょうが、読者を楽しませつつ、紫式部のスローガン的なものも見えた気がします。

マンガやアニメは往々にして大袈裟なものです。しかしどこか納得出来る部分があったり、脚色されているからこそ、冷静に「自分と照らし合わせる」事が出来るとも言えます。紫式部も、「ちょっと特異な男女関係」を面白おかしく書きつつ、「これ本当にあった事だから」と釘を刺しながら織り込んだのかもしれません。

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