■南国&PAPUWA、及び同原作者の作品群を思う時、カインコンプレックスが一条の何かになって続いている気がします。
カミヨミで、菊理と天馬がフィアンセである事を恐らく一度も本気で祝わなかった帝月とか、すずめちゃんとカラスとか、「ギャグ」「いつものあーみん」と思えればいいのですが、根深い何かを感じます。チャン5も未完になった時、ネタが尽きたとか、描く精神力が減ったとかならいいのですが、カインコンプレックスの発動故なら、永遠に未完の様な気がしました。
「兄が弟を嫉妬して殺す」のがカインコンプレックスとされています。南国では、「コタを溺愛するシンタロー」がいるので無縁だとも思います。しかしマジックに「次男が自分から愛を奪う」というカインコンプレックスを発動させた様に思います。
いやいやPAPUWAの主役はコタだ、原作者にカインコンプレックスの癖があったとしても、マジックの次男コタの人生を描く事でクリアされる事だし、末っ子代表キャラのサビには愛してくれる人がいるではないかと思います。
しかしサビは美貌と気位の高さ故に、原作者からの「自己投影」というバリアがあります。ハレ、ジャン、ルーザー様、高松、マジック、シンタローから深く愛されるサビは、原作者の自己投影の完成形だったと思います。・・・コタは、コタの物語が劇中で始まる前にフェイドアウトしました。
PAPUWAではサビ、シンタローでさえ脇役になり、愛されキャラとしてリキッドがピックアップされるようになります。権力者の一人っ子の彼が、永遠の若さを得て、ハレやマーカーと言う強い男達から愛を注がれる姿は、サビを越えた自己投影的なものだったのでしょうか。南国では「家族関係」がキーワードだったのか、PAPUWAにおいては(解決も和解もしていないのに)後退したなと思いました。
■昔、分かりやすい哲学書を何冊か読んだ時、その中にニーチェもありました。時々全然違うジャンルでニーチェの言葉と出会う事もあり、懐かしい哲学者です。
シンタローが超人なら、高松はルサンチマン代表かもしれないと思いました。ニーチェの超人は、たしか漱石の猫にもちろっと出て来るので、当時の知識人達にはお馴染みのものだったのかもしれません。
ニーチェ自身の本を読まなくても、漱石のものを読んでいると、ちろちろとニーチェが出て来ます。漱石と言えば神経衰弱ですが、当時の知識人には「当たり前」だった様です。行人の一郎が特別にどうかしてしまったのではないらしい事は、劇中のHさんのいい様からも分かります。
シンタローが超人で、高松がルサンチマン代表なら。南国で、一瞬だけシンタローVSキンちゃんな構図がありますが、キンちゃんもルサンチマンな子だったと言えそうです。ルサンチマン代表選手の高松と一緒にいて、更なる深みに落ちるのかと言えば、そうでもないのが面白いです。多分キンちゃんと高松は、体温を与え合えるのだろうと思います。 |
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