madeingermany

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...... 2018年08月21日 の日記 ......
■ 長崎   [ NO. 2018082101-1 ]

■鉄道と言えば殺人事件(「点と線」など)ですが。ドクター高松殺人事件〜鼻血の海、を妄想していました。高松なので、彼が真っ赤な血だまりで寝そべっていても、誰も不審に思わない所を狙ったトリック(?)。

ガンマ団内で刑事事件が起きても、どこからも警察が来なそうな事が気になります。殺人事件の主眼も、「誰がどうやって高松を殺したのか」は余り考えていません。メグレ式に「何故高松が殺されたのか」は延々考えます。



オチとして。「高松自身が、全く不可抗力の形で南国後グンマ博士と別れるために打った、自作自演」というのを用意しています。血だまりの中に、自分そっくりな人形を寝かせ、「高松の鼻血」を見慣れないウマ子ちゃんに惨劇を見せ。

ぐるである補佐官のキンちゃんに、あれこれ「始末」させて、医者である高松が自分で用意した死亡診断書に、誰か別の医者の署名を頼めれば、高松はこの世にいなくなります。(リアルだととてもまずい事。)



そこまでしてグンマとの別れを自然に演じたいのか?そもそも「高松」というのは戸籍上の名前なのか?「高松」というのが偽名なら、別の偽名を使って逃げればいいだけのことだよな?と延々考えていました。

偽名だの事件の偽装だのを思うと、高松が何故ずっとルーザー様のいないガンマ団に居座ったのか分かる気がします。いつかしれっと彼が戻って来るんじゃないかと、高松は期待していたのでしょう。・・・グンマが高松にどれくらい思い入れているのかは私には分かりませんが、上の様なヘボ芝居をされたら、彼は不愉快だろうと思います。



■「柴田亜美とは」みたいなことを数日考えていました。御本人に会えるはずなし、仮にサイン会等あっても、自分にそんな人物判断的な事は出来ません。

思えば谷崎にせよ、漱石にせよ、相手の事を何も知らないのに、よく好きだの尊敬しているだの思うものだと思います。それが作品と読者の関係であって、好きな作品を好きな様に、好きな時に楽しむのが読者と言うものなのだろうと思います。

徹底的に好きな様に付き合いたかったから、私は短い大学生活を漱石達に捧げなかったんだなと思います。「漱石とはこんなんですよ」と誰かに言われたら、自分は多分怒りだしてしまう気がします。幸い、高校の国語の先生にそんな事はしませんでしたが。かなり喧嘩した気もします。



南国にせよ、恐らくアニメを見て楽しんだ視聴者&コミックスで楽しい時間を過ごした読者にとっての南国と、原作者の思う南国は同一ではないと思います。それは漱石の作品でも康成の作品でも、織田作、太宰、安吾、私が好きなもの全てに言えることです。

あなたを愛しています、好きです、ずっと一緒にいたいですと絶叫しているのに、よく考えると「相手」と思っている対象は、自分が勝手にこしらえた幻像なのかもしれません。



そんなんでよくこの年まで生きていると思いますが、漱石が「イヤ、僕はそんなんじゃない」と言わないから成立するんだと思います。(南国原作者の場合、原作者自ら「イヤ、そんなんじゃない」と言った、言い出しかねない恐怖が常にある。)

・・・最近織田作を何作か読みましたが、また一つ自分の中に虚像を増やしたのかなと思いました。そんな虚像に寄りかからないと、自分はおかしくなるだろうと思います。(文豪達のよさを疑っているに非ず)

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