■漱石が好きです。こればかりは、大人どころか老女になっても変わらないと思います。誰の子供として、どこの山奥で生まれていても、自分は漱石の作品と出会ったのだと思っています。
■二次創作とはいえ、小説なぞ書いていると、「承認欲求をコントロール出来る様になるのではないか」という事を考えていました。自分の書いたものを人様に読んでほしいと言う思いがあるのなら、ワガママに書かず、人様に喜んでもらえるものを書くすべを、自然に得ているはずだと言う問題提起でした。
救いなのは、「承認欲求は誰にもあるものだ」という事です。意地汚い自分の承認欲求オンリーで、キン高&ルザ高を書いているのかもしれないと思うと、寂しくなります。南国のキンちゃんは承認欲求故の苦しみを散々味わったと思いますが(マジックの捨て子みたいなものだったし)、高松と出会い、悲しみを半分こする事で回復したと妄想しています。
■漱石について、ゴシップ的なものにはあまり手を出していなかったのですが。新聞の新刊案内に、「漱石の家計簿」という本があり、手にしてみました。表紙の猫の絵が可愛いです。
(昔、「どの大学に進学するか」と考えた時。「学びたい先生のいる学校に行くといい」というアドバイスを高校の先生からもらい。当時読んでいた本の作者を見たら、東大ばかりで「無理」と悟った時があった。この本を書いた作家の講義を受けてみたいと思うが、機会を得る事が難しそう。漱石について、一年でもいいからみっちり講義を受けてみたい。)
さてまだ「漱石の家計簿」は途中しか読んでいません。漱石と言えば、大勢の有能な弟子と、鏡子さん&大勢の子供達ですが、みんな円満な関係だったとは、ゴシップに興味がなくても何となく聞いていました。弟子同士のいさかいなら想定内ですが、漱石の弟子VS遺族というと、未知の世界です。
何というか。漱石と言う男が一代で築いた文豪と言う仕事について、弟子は兎も角、遺族がどこまで理解していたのかなと思いました。鴎外くらい、世俗から離れた感のある活動ならあれですが、漱石の世俗ぶりはいわゆる文豪とは異なるものかもしれません。(少なくとも、お金持ちばかりの白樺派とは、だいぶ異なるライフスタイルだったと思う。)
漱石の事を思う時、ドンと文豪漱石と構えて思う事がほとんどですが。癇癪を起して息子や娘をいじめたり、奥さんに余りに多くの子供を生ませて平然としていた彼の姿を思うと、弟子や読者が文豪文豪と言っても、届かない何かがありそうです。Content-Disposition: form-data; name="image"
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