■司馬遼太郎の街道をゆくを、10冊近く読みました。最後まで読もうと思っています。ところで司馬遼太郎が大阪出身のせいか、近畿圏なら詳しく、愛情豊かに書いているのに、関東以北については「全然知らない」とハッキリ言っています。
たまに関東・東北の土地について書いていても、話題がすぐにお得意の信長や秀吉の事、「職人集団」「渡来人の影響」等に流れていきます。そもそもエッセイなので、詳しくない話題については「〜に違いない」「〜と考えるのが妥当だろう」という言い回しになります。
街道をゆくと聞いて、まっさきに自分が思い出したのは東海道でした。長いけれど、土地土地の名物や、面白い話を織り込めるだろう場所です。しかし関西の方には、あんまり興味のない土地なのかもしれません。
掲載したのは全国紙だったはずですが、自分の感覚だと、京都新聞の日曜版を読んでいる印象です。「西日本メインの作品です、箱根以北は滅多に出て来ません」と思って読めば気になりません。
■以下、あやかし天馬とカミヨミへのざっくりした雑感と妄想です。細かい間違いや、解釈違い等ご容赦下さい。
・あやかし天馬とカミヨミは、一部設定や雰囲気を引き継いでいる所もあるけど、別の作品なのだと思う。具体的には、あやかし天馬とカミヨミの両方に出て来る「帝月」について、かなりカミヨミの帝月の方が整頓されている気がした。
あやかし天馬の帝月 ■ヒロインポジション 説明キャラ 強い設定 ■本当にヒロインポジションで、あやかし天馬の天馬は、捕らわれの帝月のために、実の家族や故郷と別れ、ボロボロになって、人外になってまで、戦うのだろうと思う。アーミンの十八番、「異性愛の様に激しい友情」のノリの姫役のキャラだったと思う。
仮にあやかし天馬を原作者が描き切った場合、焼け野原に天馬と帝月の2人だけが残った・・・みたいな感じになるのかもしれない。エヴァっぽいというか、エロチックとバイオレンスには、通じる所があるという説を思い出す。
カミヨミの帝月
■こちらの帝月の方が、ポジション的に簡潔かなと思う。ヒロインポジションに菊理がいて、帝月は戦闘用・現場用キャラと言う扱いだったと思う。女の菊理がディフェンス、男の帝月がオフェンス的な立場だと言うのなら、非常に整頓されていると思う。
ただしアーミンなので、「実妹のフィアンセと恋愛関係になりたがる兄」という、何の事かよく分からない部分が発生し、折角あやかし天馬の帝月の要素を、女の菊理、男の帝月で分けたのに、早々に設定が破壊されている。
菊理は最早、帝月と天馬の関係のカモフラージュなのかという疑念を抱かせつつ、美しく去って行く彼女。色々言いたい事はあるが、カミヨミの帝月のポジションは天馬の戦友というより、あやかし天馬で「濃すぎて」出来なかった部分を希釈して、希釈したのに何故か煮詰まって元に戻った姿の様に思う。
あやかし天馬もいい作品だったけど、「さあこれから」という所でふっと話が飛んでいる。テレビアニメになっていたら、アニメとしての最終回が作られてスッキリしたかもしれない。帝月の両親の話とか、どんなのだったかと思う。・・・・カミヨミテイストにドロッドロだったら、私は読みにくいかもしれない。 |
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