■南国以降の柴田亜美作品を思う時、フランケンシュタインを思い出します。シェリー夫人が書いた小説の方です。エドガーが「作ってくれた親に放置された怪物」の嚆矢みたいに思えます。柴田亜美の作品群自体、大団円も最終回もないまま宙づりになって、北極海をさまよっている様な作品が多いです。チャン5、タンバリン、あやかし天馬等。
■司馬遼太郎の、街道をゆくを読んでいます。今読んでいる舞台は九州北部です。司馬先生のテンションの高いこと。どういうわけか、元寇を話す時の先生は実に嬉しそうです。
「古風で華美で非合理な鎌倉武士を、質実剛健でワールドワイドなモンゴル兵が、気持ちイイ程メッタメタにする」なんていう場面、司馬遼太郎の作品において、10回以上はあちこちで読んだと思います。
「日本国、日本人の貧弱さ」みたいなのを、攻撃するのが司馬遼太郎のライフワークになっている観があります。司馬氏のモットーなので、多分どんな作品にあたっても再会すると思います。
司馬遼太郎は学者ではない、創作家なのだという事は、街道をゆくを続けて読むと分かりやすいです。書く対象へ抱く親愛の程度が、むき出しになっています。学術書ではありえない書き方です。
氏はバリバリの関西人です。関東人のどちらかと言えば従順で、「東京」というものに素直になってしまう所は、あまりお好きではなかったのでしょう。ひたすらに関西、及び西日本について語る先生は生き生きしています。関東人には、関西について未知の部分が多いですが、それは関西人の氏も同じで、「新潟の大雪」「群馬の空っ風」」なんて、宇宙人の暮らしの様なものでしょう。
関西生まれの作家さんの作品は結構読みますが、「関東」についてこれっぱいも思い入れがないかもしれないことを、フッと感じてしまうと寂しくなります。
■ドラえもんでどうしても分からなかったのが。ジャイアンやスネ夫にひどい事をされてのび太が辛い時、そんなのび太を、「お前がだらしないからだ」「お前が男らしくないから、バカにされるんだ」「パパやママは、お前みたいなクズな子供じゃなかった」と、のび助と玉子が、辛さを倍にしてのび太に与える事でした。
ドラえもんも結構な辛口の性格ですが、のび太が同級生から「のび太のくせに」と、理不尽に暴力を振るわれる以上、未来から持ってきたひみつ道具をのび太に貸すくらいの「友情」は見せてくれます。愛も優しさもないのは、のび太の両親です。
親子三人の時は微笑ましい時もあるのに、ひとたびのび太の「ダメさ」が他人を眼前にして暴露されると、のび太を他人以上に傷つけてくる夫妻です。
のび助、玉子曰く、「友達にいじめられたくらいで」。仲間外れにして、暴力を振るって、悪口を言い、おこづかいを巻き上げた上に、無視する少年達を「友達」と言ってしまう所が、夫妻のよく分からない所です。のび助、玉子共にアグレシップな子供だった事だけは、回想等で良く分かります。 |
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