■食べる事が好きです。グルメではなく、食べられればそんなにこだわりはありません。何かを味わっている時より、食後の満腹感が好きです。ほどほどの腹具合だと、脳や神経の方に栄養が行ってしまい、悩んだり怒ったりが激しくなるので、沢山食べた後だけ心穏やかです。
電車に乗る事と、本を読む事も好きです。食べる事は、食欲と消化器官に自分の全てをゆだねる事、電車に乗る事とは、車両とダイヤに自分の全てを与える事。本を読む事とは、自分の脳と心の一部を本に捧げる事です。「好き」という能動的な感情に見えて、実は自分以外の何かに、自分をゆだねたくてならないのかもしれません。
■「漱石の家計簿」を読み終えました。漱石の弟子と読者は「偉大な漱石」像をイメージ出来ても、家族には難しいだろうなと思いました。低年齢の時に、「家族」というものにボロボロにされた漱石のシュミは、多分作品として昇華しなければ、味わえないものだろうと思います。以下、漱石の作品で気になる点を挙げます。
・恋はいつでも「不倫」
野菊の墓の様に、可憐な若者同士の恋など漱石にはあまりない。いつだって好きになる女性は、「人の妻」である。美禰子ですら、三四郎と出会った時には内々のフィアンセがいて、頼りない男達の中から「自分を幸せにしてくれそう」な男を選んでいる最中だった。
友人が愛した女性を妻にした、こころの先生。不倫にしか興味がないといわんばかりの、それから・門。兄の妻と姦通するはずだった行人。たまたま愛した女性が友人や兄弟の妻だったと言うより、源氏ではないが、あえて既婚女性をねらって襲っている様にしか思えない。「誰かの女」だから逆に安心して襲っている気がする。
・女の「死体」が好き
こう書くとギョッとするのだけど、草枕の時点で、水死体になったオフィーリアの描写がある。草枕の外にも、それからで代助が、「三千代の遺骸」について口にする場面がある。
平岡は「三千代は病身だから、代助にはやれない」と言う。代助は三千代を諦めるどころか、「三千代の遺骸」を貰い受けるのを妄想している。それからのムードの中では自然に読めるのだけど、「女の死骸が欲しい」代助。虞美人草でも、藤尾の死体について、とうとうと語られる場面がある。
外、死んでいる女性として夢十夜、好きな女性の葬式の場面として、猫がある。明暗のお延も、津田のだらしなさに憤死しかけるらしい。漱石は楠緒子さんの事が頭にあるのかもしれないが、こんなに人の妻と、女性の遺骸が大好きでは、作品としてはいいのだけれど、日常生活を漱石と一緒に送るなんて何だか恐ろしいと思う。
金に細かくて、怒りっぽくて暴力的で、他人には優しいのに家族には冷たい男へ、妻と子供達の取った死後の態度はまさしく「漱石の家計簿」通りかもしれない。 |
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