madeingermany

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...... 2018年08月29日 の日記 ......
■ 死体   [ NO. 2018082901-1 ]

■以下、爽快な話ではないと思います。漱石の理想の世界の映像の一つがミレーのオフィーリアなら、さぞ彼の周囲に居ざるを得ない妻や子女は面倒くさいだろうと思いました。思想は思想、現実は現実と言いたい所ですが、漱石の小説は余りに漱石自身に近いと思います。

不幸そうで病身かも知れず、夫や他の家族に虐げられ、今にも他界しそうな若い美女が好きな漱石(明暗の清子もこんな感じの女性)。普通に鏡子さんは長寿で骨のある女性、漱石の子女もひな子さんの外はご健勝であったと思います。「夫ないし父親のユメ」なんて、家族にはどうでもいい事じゃなかったかなと思います。



漱石の書くユメの様な話の最たるものの一つは、行人序盤の三沢が語る娘さんだろうと思います。夢見る様にうるんだ大きな黒い瞳、若く美しく、新婚だったのに夫に苦しめられて悩み、正気が保てなくなった心、そんな娘さんに「頼られる」三沢の回想、そんな娘さんと似た女性を追い回す三沢のくだりはちょっとホラーで、流石大患前の漱石の筆だなと思います。

ロマンチックに過ぎる三沢の話に並行して、リアルな性格や立場を否応なしに押し出して来る、お重も好きです。明暗も、津田夫妻より津田の叔母さんの方が、現実的な性格で好きかもしれません。



■以下、気持ち悪い話です。柴田亜美作品雑感です。


・本来、誰かの「ご遺体」は埋葬されるまで、丁寧に扱われるべきだと思う。南国終盤でのキンちゃんの怒りはもっともで、秘石と番人からルーザー様のご遺体を人形のようにもてあそばれ、高松を攻撃され、不愉快極まりない。

ルーザー様も、息子が秘石だの番人だの、父親の犯した罪なんぞで今後苦しむくらいなら、自分の遺体を始末してくれた方がよかったのだと思う。



南国では一応「セーフ」ラインな、キャラのご遺体の扱い方なのだが、カミヨミあたりになると、「読み返そうかな」という気持ちがしぼむくらい、キャラのご遺体への扱いが雑と言うか、気持ち悪くなる。タンバリンも、描き進めれば、さらに阿鼻叫喚な内容だったんだろうなと思う。

マンガだからOKという考えもあろうかと思うが、菊理ちゃんの死や、例え脇役であっても、感情移入しながら読んだキャラの遺体が、雑を通り越して不敬に扱われているのは、あまりいい気がしない。



チャン5においても、キャラの「ご遺体」の扱い方は悲惨を極める。主要キャラにロボットがあるのでご遺体と言っていいのか悩むが、漫画を読んでいて感情移入しているキャラに、命の尊厳を感じてもおかしくないと思う。あえて「尊厳」をないがしろ・踏みにじる事で、マンガとしてのドラマを作る考えなのかなと思うが、ならば最終回まで描かないと、考察さえ出来ない点で、気持ちがよくない。

死体を好んで描くきらいがある気がするのだが、グリム童話の白雪姫の様な特殊性癖が描きたいのか、単に「同じ人間でも、死んでいればどうにでも描ける」という考えなのか分からない。ルーザー様の「粘り」みたいなのを思い出し、原作者にかまわれないキャラの方が、しぶとくで好きだと改めて思う。

PAPUWAやカミヨミあたりからの原作者の変貌だとも思えず、実は南国の中盤あたりでも、シンタローが殺したと思われる死体の山がある。南国のシンタローでさえ、暗殺者のナンバーワンと呼ばれる以上そんな感じなので、本当に南国が「セーフ」ラインのギリギリだったように思う。原作者のキャリアの序章に過ぎないのに。

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