■高松について。大人の女性から、コケティッシュな媚態の部分をマイナスすると、高松に近くなるんじゃないかと妄想しました。
高松って内面が女性なのだけれど、いわゆる女性と何が違うのかと言うと、自分がドレスアップする姿を夢見ない所なのかなと思います。かといって演歌的な女っぷりとも違うし、言葉にするのが難しいです。夢の無い女、それが高松なのかなと。
もし高松が普通の女性なら、周囲に青の一族という金持ちの男達がいるから、ルーザー様がいなくなった後、誰かに決めて結婚しそうな所、やっぱり一人でいそうです。身を売るなら芸を売るじゃないですが、女性としての何かを売るくらいなら、研究や仕事をガンガンして金にしそうです。
否、自分の「女性として」の魅力を全く信用できず、実質的な仕事や、育児に奔走してしまう悲しい女性なのかなと。青の一族的には大助かりですが、ハレが高松にガラスの靴とドレスを贈ろうものなら、すぐさまハレの顔面にぶつけて投げ返しそうです。
自分の心の中にはルーザー様がいるからと不要ですと彼・彼女は絶叫しつつ、仮にルーザー様から靴とドレスを贈られても、持ち前の怯懦のためにやはりお返ししそうです。そういう(色っぽい)怯懦さが可愛いと思うのですが、どうでしょう。
ルーザー様はどうすれば高松が落ち着いて仕事が出来るのか悩むのが楽しく、キンちゃんは「たくましい高松にも弱い所がある」と思って喜ぶ時もありそうです。
■一週間分の疲れに襲われています。主婦ではないので、面倒をみるべき家族がいればもっと疲れているのだろうと思うと、自分の疲れが小さいのか大きいのか、よく分かりません。
よく「痛くない様に殺してやる」というジャンプ漫画等の描写がありますが、あれは殺される方しか殺される痛みが分からないだろうし、痛くて転げまわっている姿が見受けられないからと言って、当人が痛くない訳じゃないとも思います。
■柴田亜美作品の、ショタとムキムキの関係は色っぽいなと思います。普通に、少年と少女の出会い等なら、色々な現実味が出てしまうけれど、これは100%ファンタジーな関係だと思います。
(まさかと思うが、原作者が「リアルなお話」として書いていたという事はあるんだろうか。なんらかの代替的なお話として自分は読んでいるのだが。1,000倍くらい、グリム童話を希釈した、ディズニー映画の様に。
白雪姫の王子様が、死体フェチだったり。かえるの王様の話が普通に「初夜」についての話だったり。いばら姫、他日本の昔話も相当にグロい。しかし、民話や里謡のグロテスクさに自分を託し、目の前の現実と折り合いを「皆」がつけてきたという実績がある。
やおいも、男性向けエロも、大体リアルな話ではないし、そこがよく、何らかのストレス解消という役目がなくもない。普通に生きている世界に、そういう価値観をぶち込んで他人に迷惑をかけない限り、許される遊びだと思う。
柴田亜美作品も、そういうフェアリーテイルの一種だと思う。バイオレンス漫画を読んで本当に血なまぐさい事を読者がしてしまうのは稀だし、ショタとムキムキが可愛いとか思っても、普通のショタ達にはきちんとパパとママがいるし、柴田亜美作品に出て来るような、デリケートで愛らしい、かよわいムキムキは本当に紙上の創作物だと思う。) |
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