■柴田亜美作品のキャラには、主人公の親戚の出て来る事が多いです。すずめちゃんのひばりさんはイトコだそうです。ひばりさんの年齢と名字からするに、すずめの父の兄の娘と思われますが、そうするとすずめの父が「弟」なのに莫大な財産を有すると言う疑問がわきます。
それはさておき、原作者の父君とご母堂は、きっといい身内に恵まれているんだなと思います。普通かそれ未満の資産の家庭では、共有する歴史や財産なんかあり得ない場合が多いと思われます。「イトコ」なんてものに夢を見るとは、やはり原作者はお嬢様だったのだと言えそうです。
自分の話なのですが。自分の「イトコ」達と言えば、自分の飽きた洋服や、不要なカバン、運動着等を段ボールに入れて、「あげる」とよく持ってくる妙な人達でした。決して、現ナマや新品の上等な服などなく、ちょっとした「あしながおじさん」の「みじめなジルーシャ」みたいな事になっていました。
(伯父の着古した、煙草臭い紳士物の冬用コートを羽織って中学校に行き、煙草臭くていじめられた。ちなみに何故か私ばかりボロを着て、妹や弟は母の買った新品の上下をいつも着ていた。当然、三兄弟で私だけいじめられる。)
別にイトコに罪はなくて。要は、私の父が姉達から馬鹿にされ、さらには、私(竹淵)にはボロやガラクタで十分、イトコ(竹淵の父の姉の子)にこそ、新しく高価なものを与えたいと言う祖母の願望だった気がします。竹淵の周囲をしきっていた祖母は、そんな意地の悪い女性でした。お陰様で、イトコにも親戚にも夢は見ません。
■考え方次第だと思うのですが。シンタローは、幼少時からの莫大なマジックからの愛情が、性格の根底にあり。キンちゃんは、生きるのに必要な分の愛情を高松と、高松の中の父から供給されているとして。
別に、「天涯孤独だから、なんでもやってやる」というキャラも、少年誌ならむしろ王道なのかなと思います。孤独な少年が、自分の起こした行動によって、自分の運命を切り開いていくなんて、そんなに悪い事ではないと思います。
そんな漫画やアニメだと、むしろシンタローやキンちゃんの様に、不動の愛が心の支えになっているキャラは、弱かったりします。いずれは皆、「親と自分は違う」と思う時も来るでしょう。
何が言いたいのかと言うと。PAPUWAのグンマの、不活発さを自分は説明しようとしています。南国で、自分の作ったヘンテコメカでシンタローに挑んでいたグンマは、いなくなってしまったのでしょうか。高松一人いないくらいで、「別人」にグンマはなってしまったのでしょうか。
よく分かりませんが、PAPUWAのグンマは、南国よりも安全主義になったなと思います。自分の発明が「使用者に危険」である自覚がやっと出たのでしょうか。グンマは、もう自分が「なんでもやってやる」的な態度に出ても、誰からのフォローも頼めない事に気が付いたのでしょうか(もういい大人だからという事もあるけど)。
南国の高松も、実はグンマを応援している様で応援していません。南国の高松は、グンマに自由に羽ばたかれては困るのです。本来マジックの長男であるグンマに本気なんて出されては、ルーザー様の息子であるシンタローに影響が出ます。 |
|