■身内の話なのですが。
父の口癖がありまして。「金がかかる」と「当然」でした。「お前を大学に入れるのに、いくらいくら金がかかった」「お前が家(つまり父と祖父母)に尽くすのは当たり前」と言った使い方です。
ごく自然に親への感謝とかの念が発生する前に、「お前にはカネがかかる」「稼いでも、オレの金をお前が使ってしまう」とかなり言われていました。感謝とか以前に、お前は穀潰しだと、身の回りの大人に連呼されていた気がします。別に私が大した事していなくてもです。
そして父と祖父母の浴びせる言葉は、「当然」です。長女だから、「当然」あれしろこれしろと、妹や長男である弟には一切言わず、むしろ私の弟の御機嫌を取ろうとしていました。
父と祖父母が仮に私の肉親なら。「お前にカネをかけてやるのは当然」くらい言えないものかなと思います。上質の下着や衣類を着ていた、同級生を指をくわえてみていたものでした。子供の頃は、竹淵に物欲や金銭欲がなかったのではなく、自分にはいい品物も現ナマも縁がないと思っていました。
随分とうの立った今となって思うのは。自分は自分に対して、あしながおじさんになろうと言う事です。面白い作文が書けてても、今更あしながおじさんは現れません。みじめなジルーシャを幸福にしたのは、金持ちのペンデルトン氏でしたが、自分はジルーシャであり、かつペンデルトン氏であればいいと思います。
ジルーシャはおじさまへのお手紙に、「イブニングドレスが欲しい」と書いたら、美しく上等のドレスを三枚もおじさまから贈ってもらいました。彼女が病気になれば、花やチョコレートも大学の寮へ届きました。
私が彼女を羨むべき点は。金持ちで優しいおじさまをゲットした点ではなく。欲しいものを手に入れた点であるのなら。今の私に出来る事は、完璧な夫であり彼女の「父」であるペンデルトン氏の様な男を探す事ではなく。自分の欲しい服でも菓子でも花でも、さっさと月給で買ってきて楽しむ事だろうと思います。 |
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