■多分、私が死ぬまで分からない事の一つに、ケースバイケース、時と場合というのがあります。「そういうのはケースバイケース」だよとか、教えてくれる人がいますが、その采配が自分で出来ないから、貴方から見ると私は変な動物に見えるんでしょうねと思います。
動物なりに頑張ろうとして、迷惑をかけたくないから、周囲の「人間」に指示を請うと、「なんでそんな事に困っているの」という、さらに有難い訓示が来ます。自分の悲鳴や泣き声は、獣以下なんだなといつも思います。そのうち鉄砲で撃たれるでしょう。
ケースバイケースとは、「その時と今は違う」ってことかなと思います。昨日と今日は違う、去年と今年は違うとか。言い方がよく分からないのですが、「あの人は理不尽に私を傷つけて平然としているけど、私が誰かを不愉快にさせれば動物のように射殺される」という事でしょうか。早く撃って欲しいです。
■ジャンプ往年のギャグマンガ作家さんと言えば、高橋ゆたか先生を思い出し、魔法娘ビビアンを読んでみました。「面白かったけど全部読んでいなかった」という思い出だったのですが、コミックスを改めて読むと、実は大体読んでいた事を思いだしました。
魔法美少女×学園ラブコメ×お色気×ギャグ、という、てんこ盛りの漫画ですが、ボンボン坂と違う味を出そうとして、苦労したのかなと少し思いました。
高橋先生の漫画のいい所は、さわやかで自然なキャラ同士の心のやり取りが、怒涛のギャグの中にこっそり混じり込んでくる点だと思っています。奇面組がどう見ても荒唐無稽なのに、なんとなしに説き伏せられてしまう何かがあるのと同じなのかもしれません。
「この作家さん、アホみたいなことばかり描くけど、本当はものすごいマジメで常識人なんじゃ」、とふと思わせるギャグマンガに出会う衝撃ったらないです。ただただ愉快なイメージしかない落語家さんの「下積み時代」なんか知ってしまった時の感じに似ています。
(柴田亜美作品の場合、ジャンル的な位置づけが非常に難しいと思う。「下品」「暴力」「お色気(?)」を武器にする女性作家さんは稀。りぼんやなかよしでもギャグ四コマ等はあるが、雑誌のイメージと言うものがある。
柴田亜美作品の持ち味は、「揶揄」だったのかなと思う。子供のパプワが大人のシンタローを振り回すのは、いいと思う。いい大人のリキッドが、純粋な少女であるウマ子ちゃんを邪険にするのは、何かが違うと思う。
「揶揄」が成立するのは、目下が目上を皮肉る時だと思う。クレしんの子供達が、大人達を笑うのはいいと思う。柴田亜美作品の場合、原作者に「今に見ていらっしゃい」的な思いがあればこそ成立したアレコレが、時間の経過で薄れたのかもしれない。) |
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