madeingermany

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...... 2018年10月01日 の日記 ......
■ 内田百ケン   [ NO. 2018100101-1 ]

■山形の思い出に浸っていました。同時に思い出すのは、ジブリのおもひでぽろぽろです。

東京娘のタエ子には、山形の自然が目新しかったらしいですが、群馬の田舎住いの自分には、「同じ自然でもこうもよくプロデュースされているなんて羨ましい」と思えました。米沢牛、山形の果物は絶品ですが、群馬も頑張っています。山形と同じくらい、美味しいものがあります。


・・・何故おもひで〜のタエ子が山形を目指したのかと言えば。「東京疲れた」「リフレッシュしたい」という気持ちだったのかなと思います。山形、田舎にも、自分と同じ感情を持ち、生々しい肉体を持って暮らす人達がいるのだと、タエ子は思わなかった様です。

山形を観光したいのなら、タエ子は姉の夫の実家に行くべきではなかったと思います。普通にホテルでよかったでしょう、ОLで相応の稼ぎがあったでしょうし。単なるバケーションではなく、「都会娘の田舎体験」という気楽さが根っこにありました。

彼女の気楽さ、浅さを見ても尚、「自分は蔵王のスキー場でバイトしている、遊びに来て(※劇中の季節は夏)」と言えるトシオはいい奴だと思います。



■内田百ケンのケンがパソコン上で上手く出ないので、乗り鉄の祖として内田先生と呼んで障りないのではと思います。

国鉄が戦後、新幹線を作ろうとした時。新幹線を安房列車で有名な内田先生にコマーシャルをお願いしたそうです。先生曰く、「そんなに速く目的地に着いてしまうのは嫌」だとか。ひたすら蒸気機関車の一等車に乗りたい先生には、高速鉄道はお気に召さなかった様です。

確かに、新幹線にボーイはいません。ワゴン車を押して来るお姉さん・お兄さんは、普通車の人にも飲み物を売ってくれます。戦後らしいというか、鉄道が万人に開かれているのが今は普通ですが、一等車・二等車・三等車が普通にあった時代の人である先生には、お気に召さない事が多いだろうと思います。




さて先日読んだのは、内田先生のエッセイ集でした。漱石と芥川について語ったエッセイとされていましたが、8割くらい漱石の話でした。若い時から漱石を神聖視していた先生なので、何度も漱石への愛を語る姿には納得です。

芥川については、いい友達だったのだなと思いました。漱石も芥川も、先生を置いて亡くなったんだなとエッセイ集を読んで思いました。両者への追悼の多い内容だったからそう思ったのかもしれません。



それにしても内田先生の漱石への愛は、周囲に小宮や寅彦もあるし、キラキラと結晶しています。漱石の作品を一層美しく見せる師弟愛です。しかし、彼等弟子達と鏡子さん等家族の相性はよかったのだろうかと思います。

弟子達は好きで漱石を慕っていたでしょうが、鏡子さんや子女達は、漱石の側にいて楽ではなかったと思います。先生達は虎の尾を踏んだとかキャイキャイしていられますが、何だか分からないまま父親ないし夫の「思い出し怒り」「鬱病」等から、ステッキで殴られればいいものではないでしょう。

内田先生達は鏡子さん達に言いたい事があったでしょうが、鏡子さん達も相応に漱石に対して鬱憤はあっただろうと思います。その見返り的に、漱石の遺作や弟子達を「思い通りに」しようとしたのは、全部が全部非難されることはなかったと思います(いや、「夏目漱石」というペンネームそのものを、商標登録しようとしたのはどうかと思うが。)

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