■認知の歪みと言う言葉を、時々聞きます。「女は皆、男に痴漢をされたいと思っている」という意味不明な認知の歪みが有名ですが、津田と清子みたいだなと思いました。津田は清子が既婚でも「俺の女」という顔でいます。
非常に気持ち悪いのですが、そういえばそれからの代助も、行人の二郎も、既婚女性達をして「俺の女」と目していました。歪み、でしょうか。三四郎の美禰子は、男達を「その気にさせた」事を自分の罪の様に思っていますが、野々宮も三四郎も皆どこか歪んでいそうです。
■司馬遼太郎の街道をゆくを読んでいます。多分もう関東の話は出ないだろうなと、何回か目の、朝鮮半島と九州あたりのくだりを読んで思いました。街道をゆくというタイトルはインパクトもあるし、いいタイトルだと思いますが、ここまで西日本ばかり書かれると、タイトルにも「西日本中心」とかあるといいなと思います。
読んでいて、朝鮮半島の話をしている司馬遼太郎が、実に生き生きしているのが分かります。地元の大阪の事を書いてキラキラしているなら分かりますが、どうしてか新羅や百済の話になると氏は燃えだします。
■思い立ってチャン5の小説を書いてみたのですが。多分本にもピクシブにも上げないと思います。高松の本当の白夜行の始まりなんて、自分はボンヤリ空想する事はあっても、認められないです。
高松は南国でもPAPUWAでも、辛いなあとか、一人ぼっちだなあとか思う事があったでしょうが。チャン5の世界は別次元だからという意味以上に、荒野です。原作者の、かつては南国のエンドウくん(成人になって二週間で亡くなったセミ)で描いた世界を、人間でやろうとするのは、多分破綻するだろうと、チャン5一巻の頃から思っていました。
「死んでしまった」で済むほど、物語と言うのは甘くないと思います。南国は「パプワとチャッピーとシンタロー」という、盤石な視点がありますが、チャン5はタコが自分の足を食うような荒廃がすさまじいです。
■軽く依存症なんじゃないかと思いますが、昔からこうだった気がするので、よく分かりません。逆に、頭の神経が擦り切れるくらい何かに没頭していないと、実生活に、ギスギスしたものが出て来るので、依存症ギリギリまでのめり込んだ方が、生きていく分には都合がいいです。
これが、新興宗教にのめり込んだとか。異性関係に自分を全て捧げたとかだったら、自分は困ると思います。同人も「相手ありき」な所はありますが、基本的に始めるも止めるも、サークル次第と言う世界です。
いやいや別に趣味と言うものは世の中にあるとしても。匿名性が重んじられる世界は、あまりないと思います。運動サークルも、文化サークルも、どうしてあんなに個人情報丸出しなのだろうといつも思います。
皆、人は人に興味があるんだろうなと思います。新興宗教なら教祖様に、異性関係なら相手の心身にのめり込むのでしょうか。両方未経験なので、私には分かりません。同人だけは、「何をしたか」が全てのような気がします。個人情報を無暗に荒らし合わない分、ボンヤリしていればすぐに置いて行かれるのでしょうが。 |
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