■チャン5の怖い所は。不老不死と言えるキャラが、既に10人以上あることです。光達5人、紅達5体、エドガー。ジャン、高松?、他いるならばアス、リキッド、ソーちゃんもあの世界にいる事になります。
亜美ちゃんお得意の「自死」エンドはそうそうないでしょうし、ほとんどジャンに無目的で作られてしまった光達紅達は、哀れの一言です(仮に光達が自分で決めて行動しても、多分最初から脳自体ジャンの制御下にある)。999が元ネタなのかもしれませんが、機械とは?人とは?みたいな問いはチャン5にはないでしょう。
おいおいおいと言いたくなりますが、既に南国の頃からそんな感じもありました。リキッドの描写のライトさあたりとか。ライトでキレのいいギャグマンガならOKとも言えた数々が、チャン5で尾を引いている感じがします。
サービスなんて、若さと美貌ばかりジャンに祭り上げられて、逆にかわいそうになるのは気のせいでしょうか。少女漫画なら、「彼って、私の顔だけしか見ていないなあ・・・」なんて一番女の子が傷つく展開だと思いますが。(そんなこと気にするサビじゃないか。)
■漱石の前後三部作で。三四郎が初めに来るのですが、どうしても三四郎〜それから〜門の流れに納得がいきませんでした。
それからで、代助は三千代に復縁を迫り。宗助は友人から奪った女性であるお米と暮らしています。代助=宗助ではないにせよ、それから〜門の流れは分かります。
三四郎〜それからの流れは、どうしても分かりませんでした。自分には三千代が、堂々と自分の判断で結婚したのだと思えたのです。漱石なのでケッコンというものに大変懐疑的なのだろうと思いますが、三四郎は、漱石ものとして爽やかであって欲しいと思っていました。
結婚後の美禰子は、夫そして結婚と言うものに飽き足らず、再び三四郎を誘惑し、今度こそ恋を楽しむだろうと言う説を知り、ああと思いました。三四郎のモタモタした所は、彼の素直さや美点だと思いたいのですが、彼はどうせ帝大を卒業してもグズグズするでしょう。
婚約者同然のお光さんは、婚期を逃してしまうので九州の実家はイライラし。美禰子も、「本当は三四郎を愛していた」から夫に不満を持ち・・・という、いかにも漱石的な流れが、あの青春一色だった三四郎の世界の後に控えているのかと思うと、かなり残念です。
三四郎の世界は、美禰子の結婚で幕を下ろします。私にその後の世界を知る必要はありません。漱石作品についてどんな説があっても、自分が楽しく読む分には参考程度に知るくらいでいいのだろうと思います。
「望まない?結婚をした美禰子が、夫も子供も捨てて、ニートの三四郎と恋に溺れる」と言うのは、あの賢く美しかった美禰子には、似合わない所業に思えます。
楠緒子さんに選んでもらえなかった漱石の、「本当はあんた、夫であるその男より俺の方が好きなんだ」という、負け犬の遠吠えみたいで、あまり小説を読むのに有益な憶測ではないのかもしれません。
漱石は結婚制度の否定とかいう高尚な事ではなくて、ただのわがままを言っているだけのように思えます。漱石は天才だから、普通の人が思う雑念や欲望を、ここまで華麗に盤石に小説として結晶化してしまえるのだろうと思います。 |
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