 ■フランケンシュタイン・コンプレックスについて考えていました。「ロボットが人間を支配する」的な恐怖の事を言うそうです。ファイブスター物語でも、高い能力と長い命を持ったファティマには、思考・行動の制限があります。
ドラゴンボールのドクターゲロも、自分が作った人造人間達に恐怖を抱いていた向きがあります。完全にロボットタイプの16号にも変に怯えていて、17号、18号への居丈高な態度も、超常の彼等をただの人間の自分がコントロールできるのかと言う怯えの表れでしょう。
往々にして、マッドサイエンティストの末路は、「自分が作ったものに滅ぼされる」ことなのかもしれません。尋常じゃない労力を注ぎこんで作った「モノ」と、人生を最期まで共にする・・・という美談ではなく、17号、18号にあっさり殺されたゲロみたいなかんじでしょうか。
何故、いい頭を持った科学者がそうなるのと思いますが、対象がモノであれ、「相手をコントロールする」事に一定の喜び・価値を見出してしまっている時点で、モノ?からの反抗は時間の問題だろうと思います。「俺がお前を作ってやったんだ」という怒号なんて発しようものなら、被製造物達も、博士への愛が冷めるでしょう。
(私の父は博士ではないのだけと、このタイプだ。キメ台詞は「俺が何々してやった」で、物心つかない頃から、「お前にはいくらかかった」「お父さんはこんな苦労をお前のために強いられた」とよく言っていた。漱石の義両親、両親みたいな男だ。)
チャン5で、主にジャンについてフランケンシュタイン・コンプレックスを扱ったら面白いだろうと思いました。しかしジャンは、そもそも「恐怖」という想像力を持ちません。人間や動物、虫や菌類ですら、「恐怖」故に色々なものを回避したりしますが、ジャンにはその感覚がありません、死なないから。
・・・高松は女性脳なので、ギリギリでマッドサイエンティストとして迎えるかもしれない危機を、回避している気がします。フランケンシュタイン・コンプレックスは、自分が作ったものへの敵意、憎しみみたいなものですが、高松は自分が作ったものを大体可愛がるようです。
高松はグンマ様やキンちゃんに対しても、「大好きな人の生まれ変わり」てきな愛し方をします。自分以外のものを愛せる高松なので、彼の最期は普通の人間に近いものだろうと思っています。(チャン5程長生きされるとわからないのだが。自分はゆるいPAPUWA世界で、高松が最期を迎えるといいと思う)Content-Disposition: form-data; name="image"
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