■チャンネル5の冒頭を読んでいたら、悲しくなりました。この話の最終回が「ない」事を知っているからなのと、伊達の死があまり話に役だっていないからです。
チャン5は全体のページ数は南国と変わらないくらいですが、何故、南国の様には沸騰?しなかったのかと言えば、あまりに設定が突飛だからだろうと思います。
南国の舞台は一応地球上でしたし、南の孤島でありながら、妙に庶民的な部分もあり。話は小刻みにしか動かなくとも、徐々に共感を増す面がありました。テレビアニメの存在も大きいです。
チャン5は、部分部分は流石「大御所」とされるパワフルさや強引さが光ります。SF考証担当の方とタッグが組めれば、もう少し立体的な作品になったのかなと、死んだ子の年を数えて泣きました。
■博士キャラと言っても、色々あるなと思いました。有名な所だとポケモンのオーキド博士がいます。オーキド博士が危険視される事はないだろうと思います。
マッドサイエンティストの末路と言えば、「自分の発明が原因で亡くなる」なのかなと思いますが、昨日から延々書いている様に、それは科学者ごとに違うと言うか、その人次第だろうと思います。
自分が作ったものを大事にすれば、相応に平穏にいられるだろうし、自分で作っておいて、邪険にすればやはり相応になるのだろうと思います。自分のような力のないものには、因果応報というささやかな言葉にすがるよりありません。
妙なものを発明する事がいけないのではなくて。自分で作ったものに優しさがないのがダメだろうなと言うのは、博士キャラだけの話ではなく。普通に、親子関係でも同じだろうと思います。
友人関係は流動的であるという良さがありますが、まるで博士と被造物のような親子関係は、一生ついて回ります。(親は子供を持つ持たないの選択肢があるが、万事受け身である子供には選択権が一つもない。一定の距離を・・・と大人になると画策するものだが、自分は親子関係が本当に法的に永続するのだと知った時、愕然とした。)
子供に憎まれる親がいたとしたら、相応だったと思います。子供は被造物だから、自分の名前も、立場も、住む所も決められません。それでも「幸せ」と感じる事ができれば幸いです。ああ、自分はこの人の部品でしかないんだなと思うと、作ってくれた?という感謝もクソもないです。 |
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