■うたプリのカミュの曲を聞いていると。ラジオ等で知る前野さんのイメージと、全く別である事が分かります。素の前野さんが「愚民」とは言わない訳で。自分はアイドルでもスターでもない、と謙虚な前野さんの姿勢が素晴らしいです。
うたプリで言えばカルナイの中の方は、音楽活動等にも活発な方が多いです。たつのライブには自分も結構行かせて頂きました。「特にそういう活動をしてないから」というだけで自分はただの声優です、と控えめに振る舞う前野さんをすごいと思います。あんなに歌えて、演じられて、求められて、素の前野さんもアイドルでスターだと自分は思うのですが。
■漱石の、三四郎からこころに至るまでの長い連作?を思うと。
「田舎の金持ちの家に生まれ、東大に進学して。親しくなった人の妻を奪い、徐々に「前夫を裏切った」自分の妻を信じられなくなり。昔の自分に様な純真な青年に妻と財産と遺書を残して自殺」という大体の流れが見える気がします。
楠緒子さんが漱石を夫にしていれば、こんな面倒くさい小説群は生まれなかったのでしょうが、賢い楠緒子さんには、漱石の普通じゃない面が見えていたのかなと思います。
6つの連作の結末は、三四郎の広田先生が既に示していた気がします。「婚姻と言うものに永遠に疑義を抱く」という点において。広田先生は不義の子で、戸籍上の父親と、実際の父親が違うそうです。「だから結婚というものを信じない」と先生は言います。
「女は裏切る」「結婚なんてフィクション」という点を、広田先生を通じて漱石は熱弁していたのかなと思います。それはそれとして。「女は裏切る」のであれば、「ちゃんと結婚した」美禰子、三千代、お米、お直、静もいつか「裏切る」のでしょう。
三千代が平岡を「裏切り」、代助のものになった瞬間は漱石の凱歌と言えそうですが、次の瞬間から「夫を裏切った三千代は、新しい夫である自分をも裏切るかもしれない」という、エンドレスの苦しみが代助を襲うでしょう。
(他人の)結婚と言う「普通の事」の崩壊にワンチャンを夢見ていた漱石は。今度はそのしっぺ返しとして自分の妻を愛せない・信じられない・大事にしない、津田のようなアホな男を生み出してしまいました。
■ミスマープルの最後の本は、復讐の女神の次にあったと言われています。ミスマープルは、結構な額のお金をラフィール氏からもらっています。氏から雇われた女性探偵2人をお供に、何か事件に向き合う本になるのだったかもしれません。
ポアロなら兎も角、ミスマープルがそんな大がかりな事件を扱うのでしょうか。マープルと言えば、本当におっとりした村の、陰惨で感情的な事件を、独特の視点と勘でスッと見抜いてしまうカタルシスだと思います。彼女が資金を有し、2人の女性探偵を率いて何をするのか、興味を覚えます。
しかし復讐の女神の最後で見せる彼女の顔は、少女の様だったとあります。家が貧乏をしていて、苦労続きだったクリスティ女史の、内緒の夢とかあったのでしょうか。変に国家規模のプロジェクトに関わってしまうミスマープルとかだったら、嫌かなと思います。しっとり、おっとした彼女が好きです(内面はそうでもないのだけど)。 |
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