■自分が学生の頃、日文に一生懸命にならなかったのは。大好きな漱石や谷崎であっても、男尊女卑のにおいが濃いからなのかなと思います。選択したのは中国史でした。男尊女卑の極みの様なジャンルですが、極め過ぎていて、すがすがしいくらい女性が出て来ません。
なら女性作家のものを読めばどうだろうと思いましたが、余計に男尊女卑のにおいを濃く感じました。竹淵が子供なのでしょうが、「オトコを楽しく遊ばせてあげるのがカシコイ女」という奴なのか、有名女性作家の作品にあたればあたるほど苦痛を覚えました。
有名女性作家は、既に男尊女卑の荒波をくぐりぬけての地位・名声・収入なのでしょうから、同じ女性として〜なんていう甘い触れ方では、読んでいて太刀打ちできません。
結局、男尊女卑の帝王みたいな明治・大正・昭和の頃の男性作家の作品を読んでいます。一周回ってすごいというか、谷崎と松子夫人みたいなドスの利いた関係だと、読んでいて「太刀打ち」しようとも思わなくなります。漱石も「この人妻は、実は自分の旦那ではなくてオレが好きなんだ」という妄想を、活発にしている姿が逆に好ましくなってきました。
漱石には幻聴があったと聞きます。何でもない人の声や振る舞いが、自分の悪口に聞こえたとか、鏡子さんを意味もなくいじめたりとかあったそうです。明暗やそれから、行人の様な、「本当は俺の事が好きな人妻」も幻聴・妄想の一環だったのかなと思います。
■青年コミックを何冊か読んで。旅行、電車と言うワードで探した数冊のコミックでして、テーマがハッキリしていたせいか、大体青年コミックでした。(少女漫画のテーマはいつもたった一つ、「恋(恋する私)」ではないかと思う。)
坂口安吾の「白痴」を思い出しました。同じタイトルでドストエフスキーの小説がありますが、そちらは読んでいません。安吾の方は、実に安吾らしい小説です。舞台はWW2の最中の日本、空襲を受ける主人公と、主人公と男女の仲にある女性の話です。
安吾と言うと理想主義者と言うか。破天荒でありながら、生真面目でもあると言う作家です。理想と真面目さがどう共存するのかと言えば、「女性関係」なのかもしれません。
安吾自身の女性関係はよく知りませんが、「夜長姫と耳男」「桜の森の満開の下」など読むと、奔放たる理想を女性に託し、生真面目さを自身の投影なのか男性の人物で表しているのかなと思います。
白痴の方のヒロインは、男も他人の目も空襲も恐れない女性です。彼女は勇敢なのではなく、自分の置かれている状況が理解出来ないらしいです。そんなヒロインに自分の理想の全てを託したような男の姿・・・、安吾だなあと思いますが、小説でよかったと思います。
数多の青年コミックにも「・・・の様な女性」が出て来ます。(・・・は安吾の白痴を読んでください。)見ていて悲しくなります。女性は・・・じゃないのに。 |
|