madeingermany

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...... 2019年02月16日 の日記 ......
■ どうしてセーラームーン   [ NO. 2019021601-1 ]

■なかなか原稿になりにくい部分なのですが。グンマと高松の不幸は、お互いがお互いを「上」と思っていた事だと思います。

高松から見たグンマ

・マジックの息子でもルーザー様の息子でも、生まれながらの「偉い」子である事に変わりはない。
・うっかりしたら誰も教えなくても眼魔砲とか撃ってきそう


グンマから見た高松

・一回人間性を確認したくなるくらいの、過保護さ
・20歳近く年上の男である 腕力もある 策士 怖い

高松はグンマを警戒し、グンマも高松を疑いながら、20年程過ごしたのだろうと思います。あの終わりなき笑顔のパフォーマンスは、キンちゃんの登場まで続きました。キンちゃんも生まれながらの「偉い子」なのですが、現状の青の一族のヒエラルキーの中では下の方である事と、目上の男として、高松の「服従」を受け入れたあたりで、屈託はなさそうです。

グンマは南国終了まで、自分が「どんな子」なのか知らなかったのだろうと思います。一回でも眼魔砲を撃ってみれば、一瞬で自分がどんな子なのか知れただろうと思います。(それはそれで高松に不利益)



■女性と子供って、何でこんなに立場がないんだろと思っていましたら。古いアニメですがウテナを思い出しました。当時監督が、「女の子と言う世界中で一番弱い存在を中心にして世界を見てみた」とか言っていたと思います。

当時は女児アニメの隆盛期でした。ウテナの様な女の子がテレビを席巻し、若くて可愛い女性アイドルが何人もいたと思います。しかし明るさは上っ面だけで、大体は西園寺とアンシー、冬芽とアンシー、幹とアンシー、そして暁生とアンシーみたいなものなのかもしれません。

だからアンシーと同一人物だとも言われるウテナが、王子様になろうとしたり、アンシーに軽蔑されたりと、ドラマが生まれていました。その少し前のアニメ、セーラムーンも、監督の手による部分がありました。




暁生や冬芽が、アンシーや他の女性の内面を全く気遣わない様に。大体の男性も、周囲の女性をはずかしめたり、怒らせたりすることをどうでもいいと思っているのかもしれません。昔読んだ本の中に、「女の体なんて減るもんじゃない」と公言した男がいました。

アニメのセーラームーンのテーマは、いつだって「気持ち」だったと思います。身近な人達の寂しさ、悲しさ、悔しさ、怒り、などに優しく自然に耳を貸すのがうさぎという女の子でした。

うさぎが優等生だったら、嫌味でしかない「優しさ」です。海野やマーキュリーの様な優等生達の「思い」に寄り添うのが、おバカなうさぎちゃんだった事は特記に値すると思います。




女性も子供も、今でもって「男の大志」の肥料でしかないのに。ちょっとしたつまづきや悩みを、大事にした素晴らしいアニメだったと思います。ちょっとしたと言っても、それが故に自殺したりする場合もあるのだから、本人には大きな事です。

「オンナは掃いて捨てる程世間にいる」「ガキはただ作ればいい」「ケツくらい触らせろ」と言い張る男性には分からないでしょう。ウテナがどこに行ったのか分かりませんが、劇場版ウテナの様に、ほがらかな船出であって欲しいと思います。

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