■地味な職業についていますが、この時期は異動があります。幸い今年は自分の異動はなかったです。昔学校の先生から「みんなと仲良く出来ないとダメですよ」と言われたものですが、あれって本当だったんだなと思います。大人になって周囲と「仲良く出来ない」って事は、時に異動、減収、行きつく先は失業なのかもしれません。先生苦言をありがとうございました。
■指飾り、首飾り、髪飾りとありますが。人間を最も飾るのは、人間なのかもしれないと思いました。父は、自分を「立派に見せる」飾りとして、少女みたいだった母を無理に結婚させ、3人の子供を生ませ、堂々「飾り」を得た男です。祖母も「人飾り」が大好きで、孫だの娘だのを身の回りに集めるのが好きでした
(竹淵は飾りにならかったのか、ばあさんのお呼びがかからなかった。同年代のイトコ達が、ばあさんからご馳走だのおこづかいだのもらっていたのを、指をくわえて見ていた)
人飾りと言うのはあんまり珍しいものではなくて。お友達がいないと先生が心配して内申書を辛くしたり、学級会騒動にまでなりかねないので、大体の児童は自分の周りに「オトモダチ」を置くと思います。女子は顕著で、兎角自衛のためのグループを、幼稚園時代から築き上げる習性が強いです。
(竹淵はそういう事が出来なくて、内申書を辛くされたり。学級会でお友達と仲良く出来ない困った児童として吊し上げられたり、クラス旅行でぼっち飯を迷わず選んで、先生が「うちのクラスはダメになる」とか心配してマジで泣いていた)
自分は自分を飾るために他人様を引き寄せたり、他人様の「飾り」にされるために、引き寄せられる事もない人生です。
■ドイツ史にときめくので、ぽつぽつとした事なら覚えてます。年金と言う制度を始めたのは、確か帝政ドイツだったと思います。ビスマルク首相が始めたとかです。
当時何かと物入りだったドイツがよく始めたと思いますが。当時60代と言えば高齢も高齢で、当然ながら年金をもらえる人は限られていたでしょう。
でもまさか「明日死ぬかもしれない」と思って生活する人は少数だろうから、「年を取れば国からお金がもらえる」と思えば、少々の事はドイツ国民も頑張れたのかもしれません。国への信頼みたいなものが、「年金」制度によって増幅されたのでしょうか。
そんな年金制度も、大体崩壊気味です。今の日本人は90代、100歳代が珍しくありません。きんさん・ぎんさんがブームになったのは1990年代だそうですが、何となしに「100歳」と言うのが楽しいファンタジアに思えたのは、やはり「100歳」が珍しかったせいもあったと思います。
今。90歳を越えて元気なご老人が多いです。大変喜ばしい事ですが、今までの「常識」が覆ったと言ってもいいでしょう。孝行をしたい時に親は無しと言っていたのが、今は老人になった子供世代が、更に30歳上の自分の両親を、「自分の退職金」「自分の年金」で面倒をみる時代が来ました。孝行し放題です。
今、赤ちゃんを日光浴させるお母さんは少数派でしょう。真っ黒にやけた肌を健康的と断言する人も少ないと思います。何が言いたいのかと言うと、今までの常識が通用しない場合が増えたなという事です。私はアナログな人間ですが、やはりそう思います。
だから、親の言う事も疑って正解だったのだと思います。自分は、自分の進路は大体学校の先生に相談しました。学校の先生は「お父さんとお母さんに話してね」と言いましたが、話しても無駄になる事が多かったです。
なんで、私の事を好きでも愛してもおらず、カネを払う事が世界で一番嫌いな、視野狭窄の野人の事を聞くかと思っていた自分は正解だったと思います。オバサンになった今の自分は、当時からのいろいろが積み重なったものなのだと思うと、いろいろがああよかったとしか思えません。 |
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